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雑感日記
1月2日、父の命日に想ったこと
2020年01月03日
テーマ:テーマ無し
★ 1933年3月に明石上ノ丸で生まれて今年で87年の人生は、なかなかオモシロくて、特に不満などもないのだが、ただ一つあるとすれば、高校を卒業する年の1月2日に、父が52歳の若さで亡くなってしまったことである。もう少し生きていたら、私は大学などには行かずに社会に出ていたと思うので、『父は私を大学に行かせるために1月2日に死んでしまったのでは』と思ったりするのである。そんな1月2日は、『父の命日』なので、毎年新年には明石に墓参りに行くのだが、昨日はなぜか、久しぶりに生まれ育った明石のまちを見たいと思って、独りで出かけてみたのである。 お彼岸・お盆の墓参りには、花を買って行くのだが、毎年正月だけは、花などは買わずに『庭の千両と万両』の赤い実のついた房などを持っていくことにしているのだが、何故か今年は実が少なかったので、珍しく正月まで咲いていた『ばら』など持って出かけた。年始の墓参りというよりは、『父の命日の墓参り』だと思っていて、昨日も『父と話をしてきた』のである。 父が亡くなったのは1952年だから、もう70年近くも前のことである。私は19才だったが、生前あまり話もすることなく逝ってしまった父なのだが、私は何となく好きだった。父と一緒の写真などは、手元になくて、唯一こんな子供の頃の写真だけが残っている。 父は、書と絵が趣味で、書を習ったという橋本海関さんのお墓もあるのでお参りしてきた。この墓標の字は、父が絵を習ったという橋本関雪さんが書かれたとか。 ★墓参の後、生まれ故郷の『明石市上ノ丸』を久しぶりに訪ねてみた。 この辺りはかっての武家屋敷跡で、道は曲がりくねって、こんなに狭いのである。 子どもの頃はそんなに狭いとも思わなかったが、町全体の道が立派になった今ではホントに狭いなと思ってしまうが、よく歩いた懐かしい道である。 このおうちは昔から、お住まいだったのだが、 本家の辺りは、戦後上ノ丸に来られたおうちばかりが、かっての本家の敷地内にいっぱい建ってしまっていて、 私が生まれた頃のこんな静かな風情は全く感じられないようになってしまった。当時の写真などは残っていないのだが、 これは、私が生まれた時にはもうこの世にはいなかった祖父と、伯父・父はまだ学生時代か、祖母と叔母の家族5人の珍しい写真なのである。 ★ 私が生きた87年の間に、日本の様子も一変したといっていい。 戦後、明石に引き揚げてきたときは、明石は爆弾と焼夷弾でこの上ノ丸あたりも焼き尽くされていて、家など建っていなかったのである。その頃、疎開していたのが、今は街に変貌している『伊川谷』で、その白水という湧き水の出るすぐ横の『お稲荷さん』があるお宅の隣がその疎開先だったのだが、 そこを訪ねてみると今も『お稲荷さん』は昔の儘に祀られていて、その向こうに見える黄色い壁のおうちが当時は平屋だったが疎開先だったのである。私が中学1年生の頃は、ここから田舎の細い田んぼ道を歩いて明石駅まで、そして灘からまた『地獄坂』を上って通っていたのだが、今思うととても考えられないのである。旧制中学の最後の年で、名門神戸一中に何故か私は無試験で入学したのだが、父に『お前は無試験で入れたのだから、他人に負けぬようにちゃんと勉強するように』と言われて、中学生の2年間だけは、ホントによく勉強したものである。『その2年間の自信』みたいなものが、『私の一生の自信』となっている。そんな神戸一中に通った、田んぼの細い道が、今はこんなに立派になっている。 伊川谷に限らず、そのさらに奥の西神も山が街に変わったし、いま住んでいる三木の緑が丘もかっては山か丘だった。兎に角、世の中の様子はこの何十年かの間に一変しているのである。★そんな日本の変貌を身近に観ながら生きてきた人生だが、『令和』という新しい時代を迎えて、不思議に今年は『父を想いだし』独りで墓参りもし、昔の想い出のまちも訪ねてみようと思ったのである。それはなぜなのかは、よく解らない。ふとそんな風に思っただけなのだが、思ったことはすぐ実行する性質なのである。新しく始まる『令和の時代』を私なりに『ちゃんと生きる』と昨日は、父に話してきたのである。 ★NPO ?The Good Times のホ―ムページです★会員さんのブログです。更新されるとすぐ載ります。★50万人フォロワーのいる公式ツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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