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あゝひめゆりの塔 

2019年12月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:戦争映画

映画ファンの皆様、おはようございます!

今日の映画紹介は「あゝひめゆりの塔」。
BSプレミアムで2019年12月23日(月)13:00〜放送。

太平洋戦争が生んだ数多くの悲劇の中でも、
最も痛ましい沖縄に散った殉国の女子学徒
“ひめゆり部隊”の物語。

皆さん、ご存知のように
1941年(昭和16年)12月8日,日本海軍が
パールハーバーに奇襲攻撃をかけ,
それを機に太平洋戦争は始まった。

1945年2月の硫黄島の戦いと、同年4月の沖縄の戦いは
玉砕と特攻の戦いとなった。

最初で最後の日本の領土での戦場が沖縄。
この沖縄で起きた悲劇的な“ひめゆり部隊”の映画。

昭和十八年、太平洋戦争中。
沖縄ではまだ、戦争感が乏しかった。

沖縄師範女子部の与那嶺和子(吉永小百合)は
級友の比嘉トミ(和泉雅子)らと運動会を楽しんでいた。

和子が師範男子部の西里順一郎(浜田光夫)と
知りあったのはその頃だった。

昭和十九年になると日本は次第に劣勢になっていった。
米軍の物量作戦の前に沖縄も戦場になろうとしていた。
和子ら学生は、
一日の半分を陣地構築に従事する毎日だった。

やがてサイパン島が玉砕。
学童は内地に疎開が決ったが和子の母は、
その船に乗ったものの、潜水艦に撃沈され、
和子は弟の武と二人きりになってしまった。

グラマン機が那覇市を襲ったのは十月。
師範学校の校舎も焼け、空襲は連日のようにつづいた。
島には非常戦時体制がしかれ、
女子学生は臨時看護婦として、
男子学生は鉄血勤皇隊となって
陸軍と行動を共にすることになった。

昭和二十年。和子たちは米軍上陸の直前、
証書も賞状もないさびしい卒業式を行なった。

間もなく米軍が無血上陸してから激戦が続き、
負傷兵も増えたが、満足に手当てもされずに死んでいった。
米軍は日ましに島を制圧していった。

病院は南に移動することになったが、
歩けない患者には自決が求められる有様だった。

そんな中で和子の級友渡嘉敷光子(浜川智子光子)が死に、
新垣勝江(笹森みち子)は
あまりにも悲惨な状況に発狂する。

敵の攻撃に遭い、死んでいく人々や、
逃げる希望を失い、次々に自決していく学徒たち。

「ひめゆり学徒隊」、240名(教師を含む)のうち、
生徒123名、教師13名が犠牲となった悲惨な事実。

本作は平和ボケした我々にとって、
戦争という悪魔の恐ろしさを
認識させる価値ある映画です。

「想思樹の歌」が流れる時、自然に涙が落ちました。
https://youtu.be/Wsn6KmgAP0w

監督は舛田利雄。
1968年(昭和43年)製作。



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