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右翼の人物と事件4(影山正治氏・安岡正篤氏) 

2019年12月09日 外部ブログ記事
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影山正治氏

 ☆影山正治氏には、死後編纂された全32巻に及ぶ『影山正治全集』
 *作家、歌人、国学者としても知られる影山氏
 ☆影山氏の本意は国士として生きることだった

十四烈士自刃
 ☆影山氏」は右翼としての人生を歩んだ
 *神兵隊事件は未遂に終わった
 (総理大臣らを殺害し、国会を占拠するという計画)
 ☆影山氏は陸軍に召集されて、中国戦線に送られる
 ☆終戦まで戦役についていた影山氏
 *「十四烈士自刃」を知らずに戦後を迎えた
 ☆「十四烈士自刃」とは
 *影山氏の留守を預かっていた父親と大東塾塾生13人
 *敗戦をわびるかたちで、代々木練習兵場で集団自決をした事件
 *影山氏は死して魂を留め置く大東塾の教義の実践にも参加できなかった
自分の国は自分で守る
 ☆影山氏は右翼陣営のなかでは異色
 *岸内閣の安保改定には反対の立場をとり、防衛維新の必要性を唱えた
 ☆影山氏は、防衛とは「魂の問題である」と主張する
 *外国に依存する防衛など考えられないと
 ☆影山氏は、元号の法制化へと向かい、元号は文化であるとの主張
 *福田内閣は、元号法制化に慎重な態度をとり続けた
 *影山氏は、元号法制化出来ないのに抗議し割腹した
 ☆その日は、楠木正成が兵庫県の湊川の戦いで敗死した日

安岡正篤(やすおかまさひろ)氏

 ☆歴代総理の指南役として戦後政界のベールに覆われて生きてきた人物
 ☆戦前に、金鶏(きんけい)学院や日本農士学校を創立した教育者
 *一般には学者のように思われている
 ☆血盟団事件では、金鶏学院の関係者が多くが連座し逮捕されている
 *後の五・一五事件、二・二六事件でも関与した者いた

「平成」「宏池会」
 ☆戦後”総理指南役”を続けていた
 *20歳年上の吉田茂から”老師”と呼ばれるほどの信頼を得た
 ☆池田勇人の派間を「宏池会」と命名した
 ☆「平成」という元号も彼の発案だったなどと伝えられている
「終戦詔書(しょうしょ)」の草案
 ☆重要法案や外交文書は、安岡の目を通すことが定着していた
 *安岡氏は、田中角栄の中国訪間のバカさ加減については怒っていた
 ☆安岡氏がシナリオを指南したと伝えられている
 *沖縄返還交渉での佐藤栄作―ケネデイ会談を成功させた
 *沖縄返還を佐藤時代の政治成果とした立役者も安岡氏だった
 ☆「終戦詔書」
 「朕深ク世界ノ大勢卜帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置フ以テ時局フ収拾セムト欲シ
  姦二忠良ナル爾臣民二告ク」と始まるもの
 *国家としての威厳を保ちつつも、負けたといわなければならない困難
 *矛盾をどう折り合わせるか、安岡にしか文章にできない
 ☆これにより、安岡の発言力と存在感は戦前にも増して大きくなっていった
 ☆安岡氏、死の直前のには、細木数子との再婚騒動で世間をにぎわせる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












右翼の人物と事件4(影山正治氏・安岡正篤氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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