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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

避難はしないと決めていた  

2019年10月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


あの大震災があた時我が家は「築6年」が過ぎたばかりで、それまで地震で二度自宅を失ったが、最初が宮城県沖地震で昭和62年だっけ・・ 私の細腕で建て替えた家があの大震災で、床下浸水大規模半壊で解体・・ 震災の時は息子が建てた今の二世帯住宅に住んでいたが、「築6年」・・ツーバイフォーで被害はなかった  その後私は何かあっても「避難はしない」と思って、これまで過ごして来たから11日も勿論避難は考えてなかったし、結構周りの家も電灯がともっていた  何時の台風だったか分からないが今回のように堤防が決壊し、濁流の中に家が流されていたのを見たが、我が家は大丈夫って思っていた  浸水は仕方ないが流されることはないだろうと・・ 勤めを辞めた翌年で地鎮祭の後、毎日建築現場に通っていたからこの目でしっかり見ていた  地震対策で電柱のように長いパイルを何本だったか、しっかり打った  そこに砂利を敷いてコンクリートを流し、その上に碁盤の目のように鉄筋を入れて、その上にまたコンクリートだからパイルが抜けなきゃ、家は流されることはないと思っている  それに周りより石垣3段分地盤が高いから、浸水しても二階まで水は届かないだろ言うと・・ 避難はやりたくても満足に歩けないし、これから何年生きるか分からないが何があっても、自宅にとどまろうと思っている  あの大震災の時は嫁さんに止められながら、元の我が家(今はもうない)が心配で見に行ったら、道路の半分は陥没・・通りかかったお姉ちゃんに、「そこまで水が来ていますよ」って言われて慌てて帰ったのだった  11日の夜は「命は大丈夫」と思ったが、やはり家が水に浸かって欲しくはないと思うから怖かった   ブログ村に登録しておりますので、「ポチッ」と応援いただくと励みになります。

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