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平成の虚無僧一路の日記

「山月記」の李徴そのままに 

2011年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「隴西の李徴は 博学才穎」で始まる中島敦の『山月記』、
高校の教科書に載っていて、暗記するほど読んだ。

詩才がありながら、性 狷介、自ら恃(タノ)むところ頗る厚く、
賤吏に甘んずるを潔しとしなかった李徴は、官を辞して
山にこもり、人との交わりを絶って、ひたすら詩作に耽
った。詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。

しかし、名声は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。
その容貌も峭刻となり、肉落ち骨 秀で、眼光のみ徒らに
炯々として、ある日 ついに発狂し、人を喰う虎になって
しまう」という話だ。

李徴は、自尊心とうぬぼれ、その裏側には、才能の無さに
気づくことが恐く、臆病で羞恥心が強く、あえて努力する
こともしなかったし、人と交わることもしなかった。

「名詩」は「才」だけでは作れない。人と交わり、社会で
もまれ、人間として磨かれなければ、人の心を打つ詩は
作れないのだと、李徴は 虎になって 後悔する。

それは「中島 敦」の 悶(もだ)え、そのものだったという。


私は、これを読んだ時、自分の将来を「李徴」に見た気がした。
(なんでこんな話を、前途有為の高校生に読ませる必要が
あるのだ。「李徴のようにならないように」との反面教師か
と、内心思った)。

あれから40年。私の人生は「李徴」の辿った道そのものだった。
今、いつか発狂して、虎になり、人を襲うのではないかと、
恐れおののく日々。

親が付けてくれた名は「伸一郎」。何をやっても一番に
ならなければとのプレッシャーに、押しつぶされた。

仕事でも、才能もないのに、あるように見せる努力ばかりし、
いつか仮面がはがれた。尺八でも「第一人者になる」と
うぬぼれていたが、結局「日暮れて道遠し」。夢破れて、
とうとう 怒り爆発。尺八を床に投げつけ 破砕してしまった。

私の人生 ここに尽きたり。一休の尺八の友「一路」の
末路は「われ 食 尽きたり」だったか。

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