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平成の虚無僧一路の日記

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2011年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



7/12 中日新聞掲載の五木寛之『親鸞』。

かつて、親鸞を殺そうともした守護代「戸倉兵衛」が、
親鸞のもとに泣きついてきた。

「もう生きているのが いや になった。死んで地獄に
おちるのはこわくはない。いやよろこび勇んでいって
やる。だが、いま、この苦しみはどうすればいいのだ。
念仏して、この苦しみからすくわれるものなら、念仏
させてくだされ」と。

親鸞は「念仏は、すくいの種子(たね)ではない。だが
念仏したいと思われるなら、念仏なさるがよかろう」。

そして「それはおのれの計らいではないのだから」と。

この最後の言葉が重要だ。人に言われて、頭で考えて、
念仏するのではない。「仏の意思がそうさせるのだ」と
いうのだろうか。

私も今、「良き人と思われるよう演じ続ける」ことに
疲れてきた。残された人生 あと数年と思って、最後の
あがきで、好き勝手に生きてみたい。いや、今までも 
さんざん好き勝手に生きてきた。でも、なぜか空しい。

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