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平成の虚無僧一路の日記

靴をそろえよ 

2011年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



禅語に「脚下照顧(キャッカ ショウコ)」というのがある。
「足元を照らして、己れを見つめよ」などと解説されるが、
「宮崎奕保」師は それを「ただ 靴をそろえよ と いう
意味です」と、説かれた。

「宮崎奕保」師は、108歳で大往生された永平寺の貫主。
その禅の大家が 実にわかりやすく 説かれた。


「日常の生活、すべてが 座禅や。

 靴を脱ぐのも 坐禅の姿や。
 靴をそろえるのは 当たり前のこっちゃ
 と 誰もが わかってはおる。

 わかっておって、できんのは、心が
 いがんでおるから。

 靴が いがんでおったら、自分の心が
 いがんでおるんだ。」


ある詩吟の宗家の家におじゃました時、私は
脱いだ靴をきちんとそろえて上がった。
(いつも、自分の家でも、必ずそろえることに
している)

それを見て、客間に通されるなり、開口一番、
「よし、あなたに(尺八伴奏を)お願いしよう」と。
尺八を吹いて聞かせもしないうちに、大きな
仕事が決ったのだ。

逆のことも多い。私の家に来る営業マン。
靴の脱ぎ方で、私は判断する。家を建てた時も、
数社から設計と見積りをとったが、最終的に
決めたのは、営業マンの靴の脱ぎ方。

私の家で 煙草を吸った営業マンはすべて却下。
一応「煙草を吸ってよろしいですか」とは言われるので、
「どうぞ」と灰皿を出すが、そこでもう「不合格」の
烙印を押されたのを、彼らは気がつかない。

要するに、最終決定したのは、「設計プランの
良し悪し」や「金額」では なかったのだ。


お箏の会などに招かれていって、楽屋で まず
目に入るのは、お弟子さんたちの「草履」の
脱ぎっぷり。最近は、どこへ行ってもひどい。
それで、そこの社中の演奏の程度が判る。

着物の会でもそうだった。いくら美しい振袖を
着ていても、草履もそろえない姿には興ざめ。

私が 嫁を選ぶとしたら、草履の脱ぎ方で
決めるかも。

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