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八十代万歳!(旧七十代万歳)

民家で夜語りは大盛況で、風邪も吹っ飛びました。 

2019年09月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



夫が帰り息子が手伝いに来てくれて、ヘルパーさんが掃除してくれているときに車で迎えて頂いて資料館へ。
出かける支度が間に合わず、ウイッグはつけられなかったし、目の周りのかぶれがひりひり、ガビガビ痛いので薬を塗りたくり、化粧もできません。
もうそのまま久留米絣の作務衣だけ着て、ウエストバッグは持たず、鍵だけ首にかけ、古い財布に千円札1枚入れていくつもりが、なんとなくもう一枚追加。(それで絵本を、サイン入りで買えました)
会場で「帰ってきた車人形」と言う絵本を図書館長さんと著者の方とで売っておられたのです。


ウエストバッグを持たないので 喉スプレーも、飴も忘れ、カメラもスマホも持って行きませんでした。


喉が痛いのに困ったと思いましたが、のど飴と冷えた麦茶を頂いてなんとかなりました。
資料館長さんと町長さんのお話の後、行燈に火打石で火をつける学芸員さんの実演が度々頓挫して随分時間が押してしまいました。
火打石から火口(ほくち)にはつくのに、つけ木が燃えなかったり、点け木から灯芯に火が移らなかったり、結局、休憩時間にやり直すことに。学芸員さん焦って大変でした。
やっと一人目の語り私の番。
隣のふじみ野市の言い伝え「ぶっつぁるべぇ」笑顔で語れたと思います。
ふじみ野市立福岡河岸記念館をご存知の方は多いし、「その前の坂道でのお話です」と初めに言って、古市場の商店街から新河岸川の養老橋を渡って、福岡河岸に向かったと言えば場所がわかった方は多かったでしょう。地元の話の強みです。
終わって司会者が、私の年齢が米寿で、ご自分は喜寿だと説明されたので、受けました。喜寿の司会者は街でも有名な芸達者。語りと、得意な紙芝居の他に、フラのウクレレを担当しながら司会をされたり、いろんな催しで司会を頼まれたりされています。今年の夜語りでは語らず、司会に回られました。
次は「旅人馬」新会員が、遠方から参加されました。
「だいふくもち」若手図書館員の男性が、とっても良い声で。
「良弁杉」ベテランが関西弁でしっとり、優しい語り。
虫たちの大合唱がBGMになって素敵な夜、第1部は終わりました。


そして休憩。
竹間沢車人形復活のストーリーが、絵本になりました。竹間沢の住民としては、ぜひ欲しい。お札を2枚入れていったおかげで、1500円の絵本が買えました。
丁寧なサインをいただき、発するFMで読んでも良いと許可もいただきました。
(発するFMで放送されるときは、また、ネットで聴けるページを改めてご案内します)






そのあと、リハトレで知り合ったお友達と久々のおしゃべり。心臓の手術をするので来月になってから珈琲店のお話会に行きますと、ことも無げに仰る。心臓の血管にカテーテルを入れて、詰まりをレーザーで焼き切る、二度目の手術だそうです。聞いてる方が怖く感じるのだけど・・・

入院5日前に夜語りを聞きにきて下さる、見た目お元気でした。気丈な方だから、10月にはきっと珈琲店のお話会に来てくださるでしょう。


行燈に火が灯ったようで、第2部の語りが始まりました。
「猫と小僧様」若手のお母さんの達者な語り。
「ニョキニョキの話」楽しいお話が得意なベテラン。オチqで笑えます。
「つがいの鴨」悲しい話をしっとり聴かせる超ベテラン。
「ヘビのうらみ」怖い場面が眼に浮かぶ超ベテラン。(最後のお二人は今度2回目の「二人会」を自費で開催されます)


以上、今年は手遊びや運動を一切入れないで語りだけが淡々と進行して良かったです。
帰り際に大勢のお客様から私に「来年も楽しみにしていますよ」と声をかけられたので、来年も頑張って語らなければなりません。



仲秋は13日でしたが本当の満月は14日夜だそうです。9時半過ぎベランダに出て見ても、叢雲に遮られて肉眼では鈍い光が見えるだけ。
しかし、カメラのズームで見ると月はちゃんと丸いのでした。

少し雲が薄くなった時もありました。(肉眼では丸くは見えていないのですが:カメラはすごいですね)




昨夜久々に脚が攣り、マグネシウムでマッサージしても治まるのにいつもより時間がかかりました。
古民家で、結構歩き回ったからですね。バリアフリーの真逆ですから。どこに行くにもどっこいしょ。


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ぶっつぁるべぇ〜
富田竹雄著 ふじみ野風景物語より 中谷久子再話 (7分)
昭和の初めころの話だ。
古市場の商店街には日が暮れても人通りが有った。昨日までに田植え仕事を終えた若者が二人煎餅屋の縁台に腰掛けて、煎餅をかじりながらなにやら相談をしていた。まさやんは華奢な若者で、たけやんはがっしりした体格で、いずれも徴兵検査前の年頃であった。
二人は立ち上がると、新河岸川の養老橋を渡って、福岡河岸の方に歩いて行った。
古市場の街には明かりがあるが、橋の向こう側の福岡村には深い闇が広がっていた。
この晩の彼らの目的は「ぶっつぁるべぇ」と言うおんぶお化けを捕まえることにあった。
福岡河岸のハケの上の上り坂の辺りでは最近、おんぶお化けの噂が絶えなかった。「ぶっつぁる」と言うのはこの辺りの方言で、「負ぶさる」と言う意味なのだが、化け物が「ぶっつぁるべぇ〜」と叫んで負ぶさってくるのだと、もっぱらの噂だった。
このおばけは、若い娘っこだという人もいれば、大入道だというものもいた。
娘っ子は主に御嶽山から出た。
これは武州御嶽神社を信仰する講というグループの先達さんの家に作られている高さが4〜5メートルの築山で、頂上には御嶽神社と三笠神社が祀られており、くねくね曲がった登山道の至る所に石碑や石像がたくさん立っている。富士塚と同じような築山だ。
この築山は道路には近いが周りは鬱蒼とした屋敷林であった。
娘っ子のぶっつあるべぇはこの辺りに居て、嫁にしてくれろと負ぶさってくるらしい。
一方、回漕問屋江戸屋の竹林の隅に有る野良便所の辺りからは、大入道の「ぶっつぁるべぇ」が出ると、もっぱらの噂であった。
この便所は、江戸屋の大勢の使用人が外仕事の時に使っていたもので、今では使われておらず、孟宗竹が覆い被さっていて、夜は特に不気味であった。
お化けを捕まえようと相談して出かけてきた若者たちだが、二人の目的は全く違っていた。
まさやんは可愛い娘ッ子のお化けを負ぶって帰りたいと思って居た。
たけやんは、大入道に扮しているのは不心得な人間だろうから、とっ捕まえてやろうと思って居た。
たけやんは「野良便所のそばで待つ」と言い、まさやんは「そんなら俺は御嶽山で待つ」と言って一人で登って行った。
まだ真夜中前だったが、江戸屋の陰から大きな人影が現れて、野良便所に入り、何やら長い着物を着て出てきた。
隠れて居たたけやんは、「ぶっつぁるべぇ〜」と叫んで大男の背中に組みついて行った。
不意をつかれた大男は、振り払うこともできず、二人は取っ組み合いになった。柔道の心得のあるたけやんは、大男を坂の下に向けてぶん投げた。
大男は「俺のほうが本物のぶっつぁるべぇだぁ〜」と言いながら逃げて行った。
いっぽう御嶽山のまさやんは、背中に何かの気配を感じた。
柔らかいものがふわっと被さってきて、
「あら、川っぱたのまさやんじゃないの。あたしよ、あたし。ねえ、あたしをお嫁にしておくれ」と、甘えた声で言う。まさやんの望み通りの展開だったが、連れて帰る気で居たはずのまさやんの口からは「お前はおとかだな、お前はおとかだ」という叫び声が飛び出した。狐のことをここいらではおとかと言うのだが、可愛い娘っ子でも、化け狐では怖ろしいと咄嗟に叫び声が出たらしい。ガタガタ震えながら「おとかだ」と叫び続けた。
背中がフッと軽くなった時、ポンと肩を叩かれた。
「おとかじゃねえよ、おれだ、たけやんだ。いま、大男のぶっつぁるべぇをぶん投げてきたぞ」
柔らかい娘っ子を捕まえ損ねたまさやんは、何だか酷くがっかりして、その場にへたり込んでしまった。

おしまい。

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