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兵庫県南部の島

朝は晴れ、夕方は雨 

2019年08月29日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

朝は晴れた。いつものように畑に出たが、蒸し暑い。ニンニクを植え付けて、もう少し頑張ろうと思ったが、ダメ。蒸し暑さでダウン寸前。睡眠時間が2時間だったからかもしれない。なぜか寝られなかったのだから。

11時頃から昼まではゴロゴロ、閉じこもり老人の仲間になった。

昼ご飯を食べて、写真撮りを思い出し、淡路島の最北端の明石海峡大橋のごく近くにある「石の寝屋古墳群」の写真撮りに向かった。家からは片道1時間はかかる。
この古墳への登る道は自動車のローの速度で登るくらいの急傾斜の道路があり、安全のために徒歩で登っていった。高速道路の架橋を渡り急坂の階段を上ると古墳のある山に行けるのだが、ここで「通行止め」の看板と鎖。ここで残念ながらあきらめた。
今年の春頃には通行できたのだが、残念だが仕方がない。
これについては、観光地図にも明確に掲載されていて、淡路島の日本遺産「国生み神話」にも重要な話の一つである人物の古墳と言われているくらいだから、それなりの管理は必要だと思うから、それなりの発言をある場所ではするつもりである。

允恭天皇が淡路島に狩りに来られた時に、獲物に全くあわなかったので、伊弉諾の神様に祈ったところ、明石海峡の底にあるアワビの真珠を神様に供えよ、との託宣を得て、オサシと言う海人に命じて海底に潜らせて、真珠を持って上がってから、オサシがすぐに亡くなってしまい、その死体をこの石の寝屋の古墳に葬ったと言うのだ。允恭天皇は真珠を伊弉諾の神に祀って、狩の獲物を得たと言う話である。

かなりの昔から「オサシの墓」と言う名前で言われている。
だけど、古事記や日本書紀の記載が事実かどうか。
こんな話を、当時の天皇が度々、淡路島に来られたと、言う淡路島の歴史家がいる。狩りをするのに渡海してこないでも、河内や大和にも獲物はいくらでもいるし、当時は法令がない時代だから、「天皇」と「どこかのおっさん」かわからない淡路島の住人はどうしたか考えたら、と言うのが私の考え方である。もうひとつ、允恭天皇はおられたかどうか、これも調べる必要がある。



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