メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

四つ葉の小さな幸せ

昔の記憶を蘇らせながら‥父と語る。 

2019年08月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

こんばんは四つ葉です。

母が亡くなり1ヶ月が経ち母の事を思い出すと母の人生ってどうだったのかと考える事がある。葬儀の時に母の生い立ちから輝かしき頃などをナレーションで流れた。

私が知らない若りし頃の母。その当時の事をナレーションの打ち合わせ時に父が話していた。

父の若い頃‥今のうちに聞いておかなくてはとだいぶ耳が遠くなり記憶も薄れている様だがボソボソと話しだした。

昭和2年生まれの父の時代は日中戦争から太平洋戦争と続き都市が空襲されはじめ生活は悪化の一途。極端な物不足に食糧不足、配給制度による耐久生活などを経験しているはずだ。そんな話しを聞いてみたくなった。

松本市で生まれた父は国家公務員だった祖父の地方転勤があり子供達8人と常に移動していた。次に移り住んだ町は愛知県半田市に住み、暮らしも大変の時に戦争が起こる。

父が高等学校の時代は半田市には中島飛行機工場があり動員学徒として軍事機の部品を深刻な労働力不足を補うために生徒や学生が軍需産業や食料生産に動員され父も勉強はしなくて良いと学校の校舎は飛行機の部品工場となり働かさせれた。

そんな時に東南海地震が東海地方を襲った。半田市でも死者が出て女工として働く女学生も多く震度6以上の地震が起こり逃げ遅れた女工達。何故逃げ遅れたかは工場内のドアに鍵がかかっていた。自分と変わらない女工達が悲惨な姿で気の毒でありその遺体を片付けもやらされ複雑な思いだったとか。

中島飛行機工場では軍用機『天山』『彩雲』が作くりそこへ工場をめがけて半田空襲が起こり沢山の犠牲者が出た。凄い爆音と「防空壕に逃げろ!」の声が響きとにかく走り防空壕へとたどり着き命だけ助かったと語った。

戦後の食糧不足、配給制度もあり貧しい生活や兄弟達の日々の食べ物に苦労した話しも聞けた。

私は戦争の話しには今まで興味も無く過ごしていた。しかし‥余りに戦争の悲惨な状況を父から聞き何故今までこうして話しを聞いてこなかったのか。

この中島飛行機半田工場空撃はかなり有名な話しだと言うので気になりネットで調べてみた。悲惨な戦争が起こした犠牲者が出た事がわかった。

こんな死と隣り合わせの生活を送り波瀾万丈な経験を過ごした父の力強く生きる姿勢が聞く事が出来良かった。

父の話しは戦争の話しや幼少の頃のガキ大将で負けず嫌いな父のエピソードが沢山ありその話も逞しく頑固な父らしさを感じた内容だった。

生い立ちから若い頃の時代を父とじっくりと語る事が出来て良い話しが出来た。父もとても嬉しそうだった。(^-^)

*画像は友人が昨日登り「富士山からのご来光」として送ってくれた。とても素晴らしい写真で許可頂きました。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

喜美さんへ

四つ葉さん

喜美さんこんにちは。

コメントありがとうございます。

喜美さんのお兄さまと父は同級でしたか。
静高とは立派な方だったと思います。

その時代は勉強より動員学徒として飛行機の部品を作らされ悲惨な状況で自由も無かった時代だと思うと辛いですね。

今の平和な時代に感謝する思いです。

2019/08/07 16:08:38

夢人さんへ

四つ葉さん

夢人さんこんにちは。

コメントありがとうございます。

戦後生まれの私は戦争の悲惨な出来事を、教科書とか写真で触れる事はあっても実際に話しを聞く事は無かったです。

夢人さんが書いてくれた様に今こうして平和にいられるのはその時代に生きてきた人達の成し得たもので感謝しなくてはと思いました。

2019/08/07 15:59:02

ゆりかごさんへ

四つ葉さん

ゆりかごさんこんにちは。

コメントありがとうございます。
母が亡くなりもう1ヶ月になります。月日が経つには早いです。
母の件もあり父に色々と話す機会が出来ました。

戦争の話しは辛く悲惨な出来事で今まで聞いた事が無かったのですが‥父の事を知るにはその話を一度聞いてみたいと思いました。

こうして今ある事に対して親に感謝したいと思いました。

2019/08/07 15:42:02

アダージョさんへ

四つ葉さん

アダージョさんこんにちは。

コメントありがとうございます。
アダージョさんも空襲の経験があるのですね。生きるか死ぬかと思いながら‥中島飛行機工場のある地に居たのでは怯えた幼少時代を過ごされたかと思います。

戦後も食糧不足で大変だったと思います。父も兄弟達とかに分け合って食べ辛い思いをしたと言っていました。

今の時代幸せだと実感しました。

2019/08/07 15:33:33

COSMOSさんへ

四つ葉さん

COSMOSさんこんにちは。

コメントありがとうございます。

COSMOSさんのお父様満洲まで行かれたのですね。辛い苦しい経験をされましたね。

私も今回初めて父と‥太平洋戦争、空襲の話など大変な時代を生き抜いてきた事を知り感慨深いものを感じました。

本当に悲惨な戦争は二度とあってはいけないです。

2019/08/07 14:15:47

戦争

喜美さん

お父様と兄は同級です
沼中から静高でした
私はやはり学校工場で中学2年で
中島飛行機の部品作ったり
兵隊さんの食べるお菓子の箱詰 洋服のボタン付けなどやりました
思いだします

2019/08/07 05:36:09

悲惨な時代

夢人さん

この戦争で多くの方々が犠牲になられたんですよね。
戦後の何もない時代から今日のこの発展はお父様方のご苦労によって成し得たものと感謝しないとですね。
私の父は南方に行っていましたが戦争のことは聞くことはなかったです。

2019/08/07 00:02:37

大変な時代に生きた親

ゆりかごの夢さん

四つ葉さん、

お母様が亡くなられてもう1ヶ月、
早いものですね〜。

お父様から昔の若い頃のお話が聞けて良かったですね。なかなか聞く機会は無いものね。

戦争の悲劇を目の当たりにして親たちは苦労したことを知ります。 今生きている親への
思いに感慨も深くなりますね。

2019/08/06 19:20:25

悲惨

アダージョさん

四つ葉さん
太平洋戦争が始まったのは 私が小学生1年生の時
私も中島飛行機工場のある地に住んでいましたので
空襲は何度も経験しましたが 市街地は空襲は免れました。
育ち盛りの身に一番辛かったことは 食糧不足でした。
それを考えると今の社会は贅沢の極みです。

2019/08/06 19:00:26

戦争の話

COSMOSさん

私も子供の頃父によく戦争の話を聞きました。上官は部下を殴るのが仕事のようによく殴られたそうです。敵と撃ち合った話。爆弾が落ちてきた時の話。時として本当かどうかわかりませんが満州で冬おしっこをするとそのまま凍ったとか。最後にはあんな戦争は二度とするものでないといつも言っていました。

2019/08/06 17:46:38

PR

上部へ