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北軽井沢 虹の街 爽やかな風
エプロン
2011年06月30日
テーマ:テーマ無し
いつの間にか6月も今日で終わり、明日からは7月である。移住生活4年目も順調にスタートし、日々生活を楽しんでいるが、薪の木の枝処理に精を出し、やっとその作業が完了した。そして、その作業中に、久しぶりにF夫妻の来訪を受けた。娘さんのいる横浜へ行っていたと、お土産をいただいた。今から畑に行くところだというF夫人は、これM子さんにオーダーして作ってもらったの、と嬉しそうにエプロンを着て見せる。畑仕事用でポケットもたくさんつけてもらったと、説明する。体にピッタリとフィットしていて素敵なエプロンだ。このようなエプロンをしていて気になるのは、作業中に肩紐が緩んでずれてくることであるが、F夫人はその点をしっかり注文して体の寸法をとってもらい、工夫してもらったと、その笑顔がとても素敵だった。できれば顔を隠さずにアップしたいほどであった。
実は、妻もM子さんにエプロンを注文し、二つほど作ってもらっている。M子さんは、ブログが縁で昨年知り合ったのだが、実はあのナイフ工房・ベアトープのナイフ職人(通称モリリン)の妻なのだ。
つまり、ナイフ職人とエプロン職人のカップルである。そしてM子さんは、「森のわんころりん」というとても楽しいブログを書いている。
http://blogs.yahoo.co.jp/oninosensui
私たちは現在、ここで生活をしながら交際の輪も広がっているが、家も近くブログのやりとりも多いのでM夫妻とはとても懇意になっている。ここでの生活暦も長く、私たちよりも随分と若いのでとても頼りになる夫婦であるが、最初にM子さんのブログを見たときには「何と面白いひとだろう」というのが第一印象であった。そして、その後、彼女はチェーンソーを操り大木をブッ倒し、玉切りをするし、薪割りもするという女性らしからぬ一面を知ることとなり、さぞ頑丈なプロレスラーのような女性に違いないと想像するようになった。
初対面は昨年の夏、「野菜のオジサン」の店を尋ねてくれたときだったが、いきなり本名を言われてもピンとこなかった私の顔を見て、慌てて「いえ、M子です」と言い直した笑顔に二度ビックリした。そこには女プロレスラーではなく、スタイルのいい美人が笑っていたのであった。
以来、M夫妻とは急速に交際が深くなり、今では友人と言うよりも、私にとって嬬恋の弟、妹のような関係になっている。M子さんは、3匹のワンちゃんと楽しく暮らしながら、時にはチェーンソーを握り、そのへんのヤワな男ではとてもかないそうもないほどの力を発揮するが、室内ではおしとやかにエプロンを縫っているという、「女ヘンナヤツ」の代表格である。
また、彼女は大工道具を巧に使いこなし、いったい何が専門なのかと思うほど、家庭でのいろいろな物を製作することも得意なのだが、やはり専門はどうやら「エプロン」のようだ。
「エプロンと前掛けはどう違うの?」と質問したら、即座に「同じです」という返事があった。
「エプロン」について調べていると、日本エプロン協会というのが存在し、そのホームページに詳しく説明がある。
エプロンの起こりは古く、古代エジプト時代から存在していた。当時は王様や僧侶など権力者の唯一の象徴として使用され、中世には武装の一部として用いられていたが、いわゆる「エプロン」として登場するのは、16世紀ころから農民・労働者の実用的な外衣として広く普及しはじめた。
ヨーロッパの17・18世紀には貴族・上流階級の人々によりエプロンは装飾品としてのブームになり、豪華な、美しく飾りたてたエプロンをファッションの流行として競い合った。形が小さく、精巧なレースや金糸や銀糸の刺繍の施されたもの、ポケットのついたもの、三角やひし形などの小さな胸当てのついたものなどが現れ、だんだんと豪華さを増し布地も贅沢なものが使われるようになり、やがて、フォーマルなドレスに「飾りエプロン」を着用することが流行し、ついに宮廷服にまで及んだ。もっとも豪華なエプロンとして知られているのは、フランスのアンリ4世の妃マリー・ドゥ・メディシスの用いたダイヤモンドや真珠を2000個あまりもつけたものが有名である。同じくフランスで、ルイ14世の寵愛を受けたボンバドールは、金糸・銀糸で織らせた布に一面ダイヤモンドを散りばめたエプロンを、ルイ16世の妃マリー・アントワネットは1770年頃、絹のローブの上に、レース・リボン・生花・造花・花模様の布などで飾り立て、その上に真珠をあしらったエプロンをしていたと言われているが、いずれも、現代のエプロンとはほど遠い、各者負けず劣らずの豪華エプロン対決といったところである。
日本では、弥生時代のはじめに織物が存在していたことが確かめてられている。その後、エプロンの起源は中国から渡来されたと言われているが、作業用として日本における「前かけ」が庶民・商人の大衆に、時代を超えて長い間用いられるようになる。古来からの日本のきもの文化が育んできたこの「前掛け」は、胸当てのない腰から下げる一枚の布からか、江戸時代には「前垂れ」と呼ばれていた。
そして、「文明開化」「鹿鳴館」・・・。洋服とともにヨーロッパから現代の形のエプロンが入ってきた明治時代は、「洋装前掛け」「サロン」と呼ばれ、やがて婦人達の憧れを誘うようになる。
大正時代になると「カフェ」の女給スタイルである、アタマは洋髪を結い、着物の上から胸当て付きで周りをフリルで飾った丈の長い白いエプロンをするという和洋折衷スタイルが流行したが、これはまだ一部の人たちだけで一般の主婦が使うものではなかった。
現在使われているエプロンが一般的になったのは昭和40年代になってからのことである。
その後、海外からのファッション性の高いブランドエプロンが登場し、爆発的エプロンブームが起こり、これまでの実用本位のものと違い、女性のホームウエアのオシャレな必須アイテムとして定着していった。
現在の英語の呼び名「エプロン」は、13世紀「アポーン(aporne)」、14世紀「ナプロン(napron)」の呼び方が変化したと考えられている。
「ナプロン」のスペル「napron」は、不定冠詞の「a」を付けて「a・napron」とするのが正しいが、間違えて「an」を付けた為に「an・apron」となり、それをさらに「an」を除いて「apron」にしてしまった・・・というのが語源の由来とされている。
そして、「ナプロン(napron)」は、ラテン語で一枚の布という意味の「mappa」(マッパ)からきている。
国によりエプロンの呼び方はさまざまで、フランス語では「タブリエ(tablier)」、ドイツ語では「シュルツ(schurzu)」と呼ばれている。
いやいや、エプロンの歴史は深いが、現在の日本では、いろいろな職業でそれぞれ特徴のあるエプロンが使われているようだ。そして、F夫人のエプロンのように特別注文のエプロンもある。
よく考えてみると、エプロンはその作業によって様々な使いかってがあるはずだが、F夫人のエプロンは北軽井沢の畑の雰囲気にピッタリ、色も畑仕事に適していて素晴らしい。
キャンプ場のオジサンも一枚オーダーしたくなったが、はたしてそのデザインは如何に?
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