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元農水次官は息子を殺す必要があったのか? 

2019年06月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


農林水産事務次官という地位にまで登りつめた男が、暴力的な息子から家族を守るため、もしくは彼が犯すかもしれない児童連続殺害を防ぐ為に殺した。 ということで、6月1日に起ったこの事件はずいぶん注目を浴びている。父親は、78歳の熊沢英昭といい、殺害された息子は44歳の熊沢英一郎さん。週刊文春では、2週間にわたり特集記事にしており、その注目度の高さが感じられる。  ● 毎日が日曜日だぜ?先週の週刊文春では熊沢英昭の実妹がのことを『武士』とたとえているその表現が気になった。人それぞれに武士のイメージがあると思うのだが、熊沢英昭の生き方や子どもに対する接し方は、武士からは程遠い位置にあるのではないか。妹は、このように言っている。「兄は武士ですよ。追い詰められて、誰かに危害を加えてはいけないから最後は親の責任で(長男の殺害を)決めたのでしょう。それは親にしかできないことです」 この妹の兄に対する表現から始まり、ぼくには父親である熊沢英昭に同情的な意見が多い風潮に『どこか違うのではないか』と思う。今週号での週刊文春での記事のタイトルは「農水元次官(熊沢英昭)は長男を3億物件に住ませていた」で、息子に自由になるお金を渡しすぎであることがわかる。息子はこのように自分の境遇をツイッターで語っている。<323,729円 これが今月のクレカの支払額だ。君達の両親が必死で働いて稼ぐ給料より多いんだよ>(2018年5月)<地主だから、毎日が日曜日だぜ?w> (2018年11月26日)息子のゲーム大や生活費も全て親持ちだった。さらに、母親と息子の関係もおかしい。これは今更言っても遅いとは思うものの、まずは勉強ありきの接し方で子供の母親に対する想いが不自然にねじれてしまった。● 性格が螺旋階段のように曲がった母親に対する息子の心情は、中学時代を思いだし、ツイッターで感情を書いている。<私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点とると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した>(2017年2月2日)母のことを「愚母」と罵倒し、<中2の時、初めて愚母を殴り倒した><殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺す>と、攻撃性を見せた。『真っ先に愚母を殺す』の部分は確かに異常性をかんじさせ恐怖にもつながることであろうが、「触らぬ神に祟りなし」で息子との関係を放置してきた結果がこうなったのではないか?また、息子の英一郎さんが、当日は家に隣接する小学校で運動会が行われており、「(音が)うるせぇな。ぶっ殺してやる”」と言ったことに対し、先日、川崎市で小学校の児童ら20人が殺傷された事件に触れ、「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった」「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と供述している。しかし警察に相談するとか、何か外部にも働きかけることもなく、自ら息子を死に追い詰める事しか本当に選択はなかったのであろうか?息子の暴力的な生活やイメージを強調する事実が今週号の文春にも記事として出ている。その1例。目白の近隣住民が、当時の英一郎さんの暮らしぶりについて明かす。「あの家は、昼間からアダルトビデオを大音量で流していました。あまりにうるさかったので、苦情を伝えたことがあるのですが、聞く耳を持たなかった。その後、家に工事が入り、(防音のための)二重サッシにかわりました」これからも、殺害された息子の異常性は色々書かれて、ますます『殺害せざる得なかったのであろう』という論調は強まっていくと予想される。● 一度負けたことがあるから但し、息子の父親に対する想いは母親の場合とは異なり、どこか誇らしげな気持ちを感じさせる。<結局、頼りになるのは、元国のトップだった父親の権力ですね> (2018年12月29日)それならば、父親である熊沢英昭は息子とどのような対話をしたのであろうか?殺害という、自分が築いてきた家族の全否定につながる手段を取らざる得なかったほどに絶望感は強かったのだろう。しかし、一方で、このような記事も出ている。英一郎さんが亡くなる2日前まで連絡をとっていた女性・サツキさん(仮名)は、こう語る。「報道を受けたネットの反応を見ていると、『彼は殺されてもしょうがなかった』といったような意見が少なくありません。でも、私はそうは思えないのです。彼は、少なくとも私にとっては、今のように悪く言われるような人ではなかったからです」(サツキさん、以下同)「少し前に私はネット上のトラブルに巻き込まれて、他のユーザーから中傷を受けて、ものすごく落ち込んでいたんです。そうしたら、英一郎さんが『大丈夫。自分も同じ目にあってすごく落ち込んだけれど、明けない夜はないから』って励ましてくれたんです。『英一郎さんはメンタルが強いですね。私もがんばりますね』というような返事をしたら、彼はあるプロボクサーの言葉を引用して『なぜあなたはそんなに強いのですか、という質問に、それはね、一度負けたことがあるからさ』って。彼自身、過去につらい経験をしてそれを乗り越えてきたんだなって思いました。私は彼の励ましが心強くて、またゲームの世界に戻ることができました」“最後の会話”について聞くと、声を落としてこう話した。「最後は3通くらいメールが来ていたんですが、忙しくて返すことができていなかったんです。内容は全部、私を励ますものでした。『リアルダウン』という言葉を使っていたんですけど、“自分はリアルダウンも考えたんだけど、ゲームを通して大切な人を見つけることができた。だから大丈夫だよ”っていうような内容で。リアルダウンは“自殺”という意味で使われていたのですが、そんな大きなことを告白してまで、私を励ましてくれた」 ● メールにはいま『幸せ』両親に日常的に暴行を加えていたという報道もあるが、普段の彼からは、そういった印象は一切受けなかったという。「激高することもありませんでしたし、何よりも最後のメールにはいま『幸せ』だということが繰り返し書いていました。大切な人というのは“好きな人”ができたという意味だったと思います。だから『いまは幸せですよ』と。これは、サツキさんが殺害された英一郎さんを過分に持ち上げただけの見解なのか?それとも単に奇を狙っただけの事実とは異なる手の加えられた記事なのか?『このような事実が他にもあるのか?』検証に値するのではないか。ノンフィクション作家・福田ますみの著作「でっちあげ」を読んでもよくわかるように、マスコミは、世間のイメージに合わせてそのイメージに都合のいい事実を切り取って誇張して結論を持っていく傾向が強い。その傾向とは逆の記事は、主流の論調に蹴散らされてしまう。 ぜひ、『殺す必要はなかったのではないか』という点も大きく拾い上げた記事をマスコミは出てほしいものだと、ぼくは願う。参照:元次官に殺害された息子が女性に伝えた「大切な人」の存在     元農水次官の息子殺害事件、同じような“子殺し”裁判では執行猶予付き判決も多数    週刊文春 2019年6月20日号   

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