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四つ葉の小さな幸せ

もう一つの介護‥。 

2019年04月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

こんばんは四つ葉です。

今日は母の入院している病院に出掛けた。暫くインフルエンザの関係で病院の面会は行けない状態で久しぶりに会いに行きながら、今後の事や現状を主治医と話し合う事にした。

母は認知症で肺炎になり胃ろうをしてから病院に入院して15年が経った。当時は介護制度がしっかりしていない‥これから介護認定が始まるという時だった。

今こそ認知症という言葉に変わり偏見が無くなっているが‥「痴呆」とか「ボケ」とか家族に居ると伏せている状況だった。父も母がそんな認知症だという事を認めなかった。

その当時は同居していなかったので、父が入院した事により母を連れて同居した。余りに認知が酷い状態に驚いた。環境も変わった事により認知もかなり進み人が変わった様に暴力的になっていた。

日々手に負えない状態になり家で見るには限界だと思いつつ父が入院中に施設に入れる事も出来ず、仕事も辞める事が出来ない状態。介護認定をしてもらい私が仕事中は施設でみてもらい朝夕の送り迎えをした。

家に連れて帰って来ると、夜の徘徊が始まり夜中歩き回り、ドアを叩いたり暴力が始まる。生きた心地がしない日々。抵抗出来ないままに私の腕は傷だらけ時には噛まれたりした。

家族には「病気だから‥悪いけど手だけは出さないで‥」となるべく私が対応するからと。夫、娘にはかなり我慢をさせた。

父が退院して戻って来たら‥父は父で認知の進んだ母に対して愕然としながら、母に対して何でこんな事が出来ない。とか厳しい言葉をぶつける。そんな父にも母の暴力が始まり父は同じ様にやり返す。何度父に「病気だから‥」と言い聞かせたか。これもかなりの労力だった。

母を精神科に連れて行き薬を処方してもらう。余りの酷い状態に医師は母に安定剤と夜は睡眠剤を使用した方が良いと、そこから今度は誤嚥性肺炎になり入院。入院させたら他の患者さんの点滴を外してしまう。(母は看護婦をしていたので)そこの病院からは出て行けと言われる。

肺炎の母を退院させる事が出来ず頼み込み、私が病院泊まり込みが条件で24時間介護。もうこんな状態では家で母を見るのには限界があり家族が潰れると‥父に話す。

そして現在の老人病院に入院する事になった。これが15年前‥。今では胃ろうで栄養をとり寝たきり状態話しも出来ず生きている。当時の大変な事を蘇るが今は何もしてあげられない。ただ足をさすってあげるしかない。

主治医より現状は変わりないですよと‥。
私のもう一つの介護‥。



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