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平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉と生命保険 

2019年04月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



生命保険の制度を日本に初めて紹介したのは福沢諭吉。 福沢諭吉は慶応3 (1867) 年欧米を視察し、翌慶応4年 (1868) 『西洋旅案内』を出版した。この年はもう明治元年 となる。 この『西洋案内』の下巻に「災害請合いの事」として 損害保険のことが詳しく書かれている。そして「生涯 請合いの事」としては2ページ。   「組合を立て、人の生涯、達者の内に年々何ほどかの 金を取りて、もしその人病気を煩い、渡世の出来ざる ようになれば、死ぬまでの手当てを年々組合より払い 戻し、また約束次第にて、死後の妻子を養うこともあり」 「病気で働けなくなったら、死ぬまで」というのだから 『所得保障保険』か。「死後の妻子を養う」というのが 「生命保険」だ。 また「老年に及んで不幸にして妻子を失い、死後の心掛け なき様になりし者は、それまで払いし金を自分生涯の内に 取り返し、安楽に命を終えることもあり」という。 『養老保険』の満期金か『年金』のようだ。 これだけの記述を読んで、13年後に「共済五百名社」を 設立したのが安田善次郎。これが安田生命の前身となった。 明治13年には、まだ「生命保険」という言葉は無かった。?

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