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ヨーロッパの歴史8(フランク王国、カール大帝、神聖ローマ帝国) 

2019年02月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ヨーロッパの歴史8

民族移動と混乱から「中世」が始まる
フランク王国の台頭
 ☆移動したゲルマン人の諸民族の中のフランク人
 *フランク人が建国したフランク王国が最も力を持つ
 *フランク人、西ヨーロッパで最も穀倉地帯、現在のフランスに建国した
 *その豊かさを背景に、ゲルマン人の諸国の中で最も安定した国家になる
 *メロヴィング家がメロヴィング王朝を建てる
 *周囲の民族をしたがえ、キリスト教の正統派であるカトリックに改宗する
 ☆ゲルマン人の多くは異端とされるアリウス派
 *メロヴィング朝は、カトリックに改宗した
 ☆ローマ帝国の貴族や市民も、、ゲルマン人の支配を受け入れた
 ☆フランク王国が、西ヨーロッパの中心勢力となる基盤を固める
 (他のゲルマン諸国の多くは短命に終わる)
フランク王国に宮廷カール=マルテルの登場
 ☆メロヴィング家の王家の相続方法
 *子供に人数分の領地を分け与る分割相続
 *王の領地は小さくなり衰えていく
 *宮宰という最高の行政職が権力を握る
 ☆宮宰の中で最も有名な力ール=マルテル
 *メロヴィング朝の実権を握る
 *イベリア半島からフランク王国に迫っていたイスラーム勢力を戦いで破る
ロ-マ教皇公認のクーデタで新王朝が成立
 ☆カール=マルテルは、宮宰の地位にとどまっていた
 ☆その子ピピンは、メロヴィング朝の王から権力を奪いカロリング朝をひらく
 ☆ピピンは宗教勢力を活用し正統な新王朝とした
 *キリスト教会の長ローマ教皇に土地を寄進
 *クーデタを承認してもらい、フランク王国の後継者として認めてもらった
東西南北に勢力を拡大したカール大帝
 ☆ピピンの子カール大帝は、フランク王国を強大化させる
 *カール大帝は、戦いで次々と勝利をおさめる領土を東西南北に拡大する
 *東(アヴァール人)、西(イスラーム勢力)、南(ランゴバルド王国)、北(ザクセン人)
 (現在のドイツ、フランス、北イタリアにまたがる領土)
 ☆広大な領土をカールは、いくつもの州に分割し統治した 
3分割されたフランク王国
 ☆カールが獲得した広大な領地
 ☆カールの孫の代になると、孫同士で領地を奪い合う
 ☆カールの孫時代、王国を東フランク王国、西フランク王国、イタリアの3つに分けた
 *現在のドイツ、フランス、イタリアの「ルーツ」
ドイツの起源となった「東フランク王国]
 ☆東フランク王国(ドイツ)では、力―ル大帝の血をひく力ロリング家が断絶
 ☆諸侯の選挙で王が選ばれる
 *オットー1世は、アジア系の人やスラヴ人と戦って勝利し名声を高める
 ☆ローマ教皇がカール大帝に続きオットー1世に再び接近
 *オットー1世に西ローマ皇帝の位と冠が与えられる
 ☆キリスト教会と東フランク王国は関係を深める
 ☆キリスト教会と関係を結んだ東フランク王国、神聖ローマ帝国といわれる
 ☆神聖ローマ帝国
 *幾度もローマを奪うべくイタリアに攻め込んでは撃退されている
フランスの起源になった「西フランク王国」
 ☆西フランク王国(フランス)でも力ロリング家は断絶
 ☆パリの地を伯としておさめていたユーグ=カペーという人物が王位に就く
 ☆カペー朝王朝を開く
 *王の力は弱く、家来の諸侯のほうが王よりも広大な領地を持つ
 *不安定な状況がしばらく続く
イタリアでは、ジェノヴァやヴェネッィアの成長
 ☆イタリアでも、力ロリング家はすぐに断絶
 ☆神聖ローマ帝国との抗争状態、イスラーム勢力も南に侵入してくる
 ☆国内は分裂状態し、統一感のない状態で「地方は放置状態」を招く
 ☆有力な「地方都市」ジェノヴァやヴェネツィア、ピサなど
 *イタリアの主役として頭角を表す

知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の教科書』








ヨーロッパの歴史8(フランク王国、カール大帝、神聖ローマ帝国)
(『世界史の教科書』記事、ネットより画像引用)

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