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日本の復興(1)(1村1焼1殺・外加全没収、曲学阿世の徒) 

2019年01月29日 外部ブログ記事
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日本の復興(1)

独立するアジア諸国
 ☆大東亜戦争で日本軍に追われたイギリス、フランス、オランダ
 *植民地支配を復活させるため、戦後東南アジアに軍を派遣した
 *民族主義に目覚めていたアジア諸国は列強に勇敢に戦い、独立を果たしていく
 ☆東南アジアの諸国民
 *「アジア人は白人に絶対に勝てない」と思い込んでいた
 *その認識を覆したのが、日本人だった
 *東南アジアの独立は、意外にも早く勝ち取ることができた
 ☆日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した
 ☆日本が戦争中、東南アジアの諸国に進軍し、日本軍が欧米列強を追い出した
 ☆戦後、多くの日本兵が現地に残る
 *東南アジアの人々と独立戦争を戦って命を落とした
 *インドネシアでは、各地に立戦争で死んだ多くの日本兵が埋葬され眠っている
再び混乱する世界
 ☆ソ連は東ヨーロッパの国々を呑み込み、無理矢理に共産化しソ連の衛星国家とした
 *ソ連の政策に反対する者たちは、首相であっても粛清された
 ☆ソ連と共産主義の進出(冷戦)
 *赤化を抑えるために、西側諸国が北大西洋条約機構(NATO)を結成する
 *ソ連も、東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構(WTO)軍事同盟を結成して対抗
 ☆中国大陸
 *蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党が内戦を再開
 *中国共産党が勝利して「中華人民共和国」が生まれた
 *蒋介石は台湾に逃れ、その地が「中華民国」となった
 ☆中国共産党
 *勢力拡大のために「1村1焼1殺、外加全没収」を行った
 (1つの村で1人の地主を殺し、その家を焼き払って、加えて全財産を没収する意味)
 *具体的な方法
 (地主を人民裁判で処刑し、全財産を没収した上で、彼の土地を村人に分け与える)
 (代償として、村人から何人かの若者を中国共産党に兵隊として差し出す)
 ☆朝鮮半島
 *大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という2つの国が生まれた
 *北朝鮮建国の時
 (ソ連は自国で思想教育した金成柱を「金日成」として送り込んで国家主席に据えた)
 (「金日成」は、朝鮮の民衆の間に伝わる抗日ゲリラの伝説的人物)
 (実在の人物ではないともいわれている)
 ☆朝鮮半島と中国大陸に共産主義国家が誕生
 *極東でも冷戦状況が生まれ、日本を東アジアにおける共産主義の防波堤とようとしたアメリカ
 *日本を農業国にする政策から、工業国に戻す方針に転換した
日本独立
 ☆北朝鮮はソ連の支援を受けて韓国に侵攻した
 *北朝鮮軍は、韓国全土をほぼ占領したが、国連軍が仁川に上陸すると戦況が一変
 *国連軍は中国国境近くまで北朝鮮軍を押し返した
 *北朝鮮の軍に中国の人民解放軍が加わり、戦争が長期化した
 ☆日本に駐留していたアメリカ軍が大規模に朝鮮半島に出撃
 *日本国内の治安維持のための部隊が新たに必要となる
 *GHQは日本政府に対し警察予備隊を作ることを命じた(後に自衛隊)
 ☆日本は、朝鮮半島で戦うアメリカ軍に大量の軍需物資その他を供給する
 *経済が息を吹き返した
 ☆日本の急速な復興を見たアメリカ
 *日本の独立を早めて、自由主義陣営に引き入れようと考えた
 *日本は48の国々とサンフランシスコ講和条約を締結する
 ☆敗戦で、国力は大きく削がれたとはいえ、潜在能力は東側陣営にとって脅威だった
スターリンは日本のコミンテルンに「講和条約を阻止せよ」との指令を下したといわれている
 ☆野党第一党の日本社会党と日本共産党は、講和条約締結に真っ向から反対した
 *時の東京大学総長・大学長や学者、知識人も反対の論陣を張った
 *彼らの多くは「公職追放」の後、大学に入ってきた社会主義者だった
 ☆朝日新聞をはじめ、マスメディアも、「単独講和」が良くない報道を繰り返した
 ☆当時のメディアと知識人
 *自らのイデオロギーと既得権保持のために、日本を独立させなくてもかまわないと考えていた
 *主権、外交の権限もなく、外国の軍隊が、国土と国民を支配している状況を良しとしていた
 *戦後わずか6年で、日本の言論界はこれほどまでに歪んでしまっていたのだ
 ☆時の首相、吉田茂は講和に反対する学者たち
 *「曲学阿世(きょくがくあせい)の徒(世に阿るインチキ学者)」と呼んだ
 ☆講和条約が発効して、日本は戦後7年経て、主権を回復し悲願の独立を果たす
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「戦犯」とされていた人たち
 ☆早期釈放を求める世論が沸騰し国民運動が起こった
 ☆日本弁護士連合会(日弁連)も「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を政府に提出
 ☆政府は、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議案」を国会に提出
 *衆議院本会議で、日本社会党、日本共産党を含むほぼ全会一致で、戦犯の赦免が決議された
 *戦勝国によって「戦犯」とされた人々の赦免は、日本人全員の総意であったといえる
 *GHQによる「WGIP」の洗脳にこの時点では多くの日本人が染まっていなかった
 *洗脳が完全に行なわれていたなら、戦犯赦免運動など起こるはずがなかった
 ☆洗脳の効果が現れるのは、この後である
 ☆講和条約発効後、連合国軍による占領は終わる
 *GHQが日本から去って、検閲と言論統制はなくなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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出典、『日本国紀』








日本の復興(1)(1村1焼1殺・外加全没収、曲学阿世の徒)
(ネットより画像引用)

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