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「4字」元号時代と弓削道鏡 

2019年01月24日 外部ブログ記事
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栃木県下野(しもつけ)薬師寺は、道鏡が流された場所

 ☆薬師寺は、7世紀末の建立と伝えられる
 *『続日本後紀』に「薬師寺は天武天皇の建立する所也」とある
 ☆薬師寺は、奈良・東大寺なみに格式が高かったがいまは跡形もない

道鏡の“黄金期”4字元号の時代
 ☆「天平感宝(かんぽう)」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」
 ☆4字元号は中国の元号を模したもので22年間におよんだ
 ☆道鏡が古代史の表舞台に登場したのは、天平宝字時代
 *道鏡は、未婚で独身の女帝・孝謙天皇の病を秘法という術で快癒させた
 *道教は、孝謙上皇「寵幸」を受けた
 *孝謙天皇が退位した淳仁天皇になる
 (淳仁天皇は、道鏡との関係を孝謙に諫言したが、孝謙に嫌われ淡路島に流された)
 *孝謙は重祚し天皇位(称徳天皇)につく
 ☆称徳天皇は、道鏡を仏教界トップ天皇に準ずる身分の「法王」にまで昇格させた
 *道鏡は権勢をほしいままにして、天皇のようにふるまう
道鏡の神託事件、そして暗転
 ☆神護景雲時代、宇佐八幡宮からの使者の神託
 *使者は「道鏡をして皇位に即かしめば天下太平ならむ」と奏上
 *神託は道鏡自身が仕掛けたという説もあるが真相は不明
 ☆称徳は確認のため臣下の和気清麻呂を宇佐に派遣した
 *清麻呂は、道鏡は「无(無)道の人」の宇佐八幡宮との託宣を聞き、称徳にそのまま奏上
 *清麻呂は、改名させられたうえ、九州・大隅国に左遷された
 ☆道鏡の運命は、称徳が崩御すると失脚し下野送りが決まった
弓削道鏡が薬師寺へ
 ☆神護景雲時代、初老の僧(道鏡)が護衛にまもられ、薬師寺にやってきた
 ☆道鏡60歳前後、「別当」との肩書きがついていたが、配流であった
 ☆道鏡の死因は不明であるが、軟禁状態のすえ、謀殺されたとの説もある
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『産経新聞』






「4字」元号時代と弓削道鏡(『産経新聞』記事、ネットより画像引用)

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