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空鞘稲荷(そらさやいなり)神社 広島市 

2018年12月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

空鞘稲荷神社(そらさやいなり) 
広島市
原爆ドームの600m上流

原爆ドーム 


爆心地から600m足らずの位置に鎮座
「空鞘神社の縁起は甚だ古く、勧請の年紀詳かにするも由無なきも後陽成天皇の御宇豊臣秀次未だ関白たりし文禄元年壬辰の歳、毛利輝元陰陽両道に跨る大守として広島城郭の築城を告ぐるの時枯萩寒草の間此の地に二社あり、大を空鞘大明神、小を彦山明神(現在の幸神社)という」 


「 空鞘 」 の名は、社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛って居た事によりその社名となったと伝えられており、昭和40(1965) の町名改正まで神社周辺は空鞘町と称していました。



御祭神
宇迦之御魂神  (うかのみたまのかみ)

宇気母智神    (うけもちのかみ)

和久産巣日神  (わくむすひのかみ)

古尾道玉乗りの傑作です。


山根屋源四郎傳篤の作です。 玉乗り型では四番目の作


         原爆にも耐え良い姿を残しています。


       豊かなたてがみ 渦巻紋

文政十一年(1828)        棟梁と山根の刻が見えます 
                  棟梁石工 山根屋源四郎 藤原傳篤
















阿形は崩壊中

こちら側は植生豊かなので緑に変色しています。

         直台はコンクリで補修されています。

      後足は短くなっています。
     針金が取れたら崩壊しそうです。

      尻尾も凝ってます
      10分くらいここをウロウロしてしまいました。

稲荷神社 稲荷神社の中の稲荷神社?

境内社


皇紀二千六百五十五年(1995)平成七年
























            玉乗り型 昭和四年(1929)




 高下九一では無く
石工・中島新町 熊野米吉

中島新町は原爆で無くなっています。
ほぼ爆心地です。
石屋も石工も原爆で亡くなったであろうと思います

現在の平和公園の南、平和大通りあたりにあった町です




















高下九一作に似ています。 大変良い腕の石工だったのでしょう。




















本殿

扁額


本殿は無く拝殿のみの造り


都会の中の森です。

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