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平成の虚無僧一路の日記

屈原 

2018年12月04日 外部ブログ記事
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屈原(くつげん)は、紀元前300年頃、中国戦国時代の楚の国の政治家であり、詩人である。楚の王族の一人で宰相となったが、懐王が隣国秦の謀略に踊らされ、国を危うくするのを諫めたが受け入れられず、追放され、楚国の将来に絶望して入水自殺した。屈原は放逐されてベキラの淵をさまよい歩いていると、一人の漁夫が声をかけてきた。「あなたは何をそんなに嘆いているのですか」と屈原は言った。「世の中すべて濁り、私独りが澄んでいる。人々皆酔い、私独りが醒めている」漁夫は言った。「世人がすべて濁っているならば、自分も一緒に泥の中に入り、波を立てればいいではないですか。人々が皆酔っているなら、自分も酔えばいいではないですか。川の水が澄んだら、冠の紐を洗うがよい、川の水が濁っていれば、自分の泥足を洗うがよい。泥水で冠を洗おうとするから悩むのだ」と。屈原は漁夫の言葉に耳をかさず、ベキラの淵に身を投じた。一休はこの屈原の故事を愛した。一休も20歳の時瀬田川に入水している。そして屈原が王の一族であったように、一休も天皇の子「王孫」であることを意識している。一休は、「民衆が飢え苦しんでいるのに、寺の坊主達は皆、衣食住に困らず、親の地位と財力で出世競争に明け暮れ、人々を救うこともしない」と怒り嘆き悲しんでいたのだ。私も屈原や一休に自分を照らして見てしまう。だから引かれるのだ。

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