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平成の虚無僧一路の日記

一休の悟り 

2018年12月03日 外部ブログ記事
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一休は25歳の時、盲目の平家琵琶師が語る『祇王失寵』を聞いて、一晩泣き明かし、『洞山三頓』の公案を解いたという。何をどう説いたのかは、どこにも書かれていない。一休が『祇王失寵』に落涙したのは、平清盛の寵愛を受けていた祇王が、若い仏御前の出現で、清盛の屋敷から追放されたことか゜まさに一休の母の境涯に似ていたからであろうか。一休の母は、後小松天皇の寵愛を受けながら、南朝の血筋ということで、宮中を追われたのだった。一休は『祇王』の悲歌を聞いて、母を思い出し泣いたのであろうと思われる。寺を飛び出し、琵琶湖畔で一晩泣き明かしたというから、悲しみは尋常ではない。そして、やがて夜が明け、涙も枯れ果てて、「洞山三頓」の公案が解けた。一休は、母を捨てた父、後小松帝を憎んでいたことだろう。南朝の血筋に生まれた母を憐れんだかもしれない。南と北で争う世の非情を嘆いていたのかもしれない。一休は自分の父が北朝の後小松帝で、母が南朝方という出自に嘆き苦しんだ。「自分はいったい何者。天皇の子であり、また悪党の血筋」という出生の秘密。天皇の子でありながら天皇になれない。安国寺に入れられたが、その寺を飛び出し、西金寺、祥瑞庵と転々としてきており、僧侶としての出世の道も無い。その悩み苦しみを解いてくれたのが『洞山三頓』の公案だった。「人はどこから来て、どこへ行くのか」と問われて、正直に答えて殴られそうになった洞山に、出自にこだわっていた自分を反省したのだ。

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