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平成の虚無僧一路の日記

「一休」と「地獄太夫」 

2018年12月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



長唄に「一休禅師」というのがあるそうな。歌詞は「坪内逍遥」の作と聞いてびっくり。作曲は「吉住小三郎」。【内容】一休が、堺の遊郭で「地獄大夫」と添い寝をしていると、禿(かむろ)が起こしにきて、一休とからかいあいます。大夫が目を覚まし、長いこと来てくれなかった恨みごとをいう。大夫の問いかける問答を、一休は受け流していると、廓と思っていた所が、がらがらと崩れ、辺り一面が地獄と変わります。闇にゆらめく地獄の炎(ほむら)。大夫と思いしは骸骨となり、禿(かむろ)は鬼となって、一休に踊りかかります。すると一休、「えーいっ、一切は空!。祈りもなにもあるものか。今の世の釈迦なら鬼。鬼も釈迦だ」と、破れかぷれ、一心不乱に喝を唱え、ついに気を失います。やがて気が付くと、そこは 野原で、一休は、石を枕に寝ていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さてさて、一休と遊女「地獄太夫」の話も『一休関東咄』の下巻の第七に出てきます。堺の宿に「地獄」という名の遊女あり。一休が「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、地獄太夫は「しに来る人の落ちざるはなし」と返した。「しにくる」は「情事をしにくる」と「死」をかけ、「自分の魅力に堕ちる(参る)」と「地獄に落ちる」とを掛けたもの。この話にも、後に尾ひれがついて、地獄太夫と一休の交流がいろいろ語られています。

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