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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧に袈裟は必要か 

2018年11月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「虚無僧」は、「得度受戒」していない「在家」であり、江戸時代の初めは、「袈裟」は 付けていなかった。私も、旅する時は、袈裟はつけないことにした。特に夏は暑いし邪魔。逆に寒い冬は、風除けになるので、マントの代わりになるので付ける。結構、袈裟一枚で暖かい。「袈裟」が無ければ、「インチキ坊主」などと云いがかりを付けられた時、「袈裟 も 数珠も『お経』も持ってません」 という逃げ口上になる。「あなたが、勝手に『坊さん』と思っただけです。私は、この通り 『坊主頭』 じゃ ありません」と。 では「なぜ、布施を得るか」と訊かれたら、
「私からは要求してません。勝手に入れてくださる」(最近は稀ですが)。
「これは日本人の宗教心。昔から『乞食の行』を『聖(ひじり)』 として尊敬し、『施し』 をすることで、『徳積み』ができるという信仰があったではないですか」と 答えたい。「あなたの心の中にも、困っている人、修行をしている人に 『施し』を しようという 『慈悲』 の心は ありませんか」と。 「虚無僧」は、あなたの心の中にある「仏心」を呼び起こさせる存在なのです。もっとも以前「職務質問」を受けた時、若いお巡りさんは、「虚無僧」を全くご存知なく、いちいち説明するのも面倒なので「明暗教会・会員証」を見せたら、それを書き写して、了解。「以前、虚無僧が来て『布施が少ない』とそこの店の人とトラブルがあったので、通報を受けた。その時は、こういう免許を持ってなく、寺の名前も云わなかったので」と。「で、尺八は吹いていましたか?」と聞くと、「いや尺八は吹いていなかった」と。なんだ、それこそ、いかがわしい「托鉢坊主」じゃ。最近は減ったが、迷惑な話。警察に通報したそのお店、その後火事で全焼しました。

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