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平成の虚無僧一路の日記

『般若心経』の賛否 

2018年11月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「質問コーナー」に「『般若心経』を写経してお寺に納めに行ったら“受取れません”と言われました。どうしてですか?」というのがありました。同じ仏教で、『般若心経』を否定する宗派があります。日蓮宗と浄土真宗でしょう。。浄土真宗の勅使(てし)講師は、明解に話された。「『般若心経』は、あなたが浄土真宗の門徒であるなら必要ありません。捨てなさい」とバッサリ。「医者が、患者に その人の病気に合った処方箋を下すように、親鸞聖人は、数ある経典の中から、みなさんの悩み事に応えるお経は、『浄土三部経』(無量寿経、観無量寿経、観音経)が いいと決めてくださったのです。他の薬を飲む必要はありません」と。日蓮宗各派にいたっては、『法華経』を奉じ、日蓮聖人を唯一無二の聖人として崇め奉り、日蓮に帰依せよと説く。同じ「仏教」でありながら、拠り所とする「経典」が宗派によって違う。そしてお互いに相手を非難し合う。そのような「仏教各宗派」のありように 私は懐疑的です。あらゆる経典は「釈迦」の没後 500年、1,000年を経て、後世の人によって書かれたものであって、「釈迦が語った」として、自分たちの都合のよいように解釈して創ったものです。釈迦は一文字も残さなかった。釈迦の時代には一冊も経典は無かったのです。虚無僧は、唱える「経」も無く、寺も家も持たず、ただひたすら歩いて、尺八で衆生を感化する。釈迦の原典に回帰する修行なのです。

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