おもいでの山々

大菩薩峠 

2018年10月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:登山

 山梨県は山の県である。百名山を12座を有し3000m級を6座がある県である。そんな山岳県なのに百名峠にはたった2つの峠が並んでいるだけである。御坂峠と大菩薩峠であるが両峠共に富士山の絶景の展望の峠である。 
 江戸から八王子高尾にいたり小仏峠、笹子峠を越えるのが日本の五街道のひとつ甲州街道であるり対して江戸から西に30里多摩川青梅をたどり小菅村丹波村を過ぎて峰々源流を乗り越え大菩薩嶺峠をへて甲州塩山にいくのが甲州裏街道(現青梅街道)とよばれている。最奥の集落丹波。ここまでは金山採掘の集落跡や女郎平、採掘工夫にあたえられその後の口封じのため五十五十人の女郎が沈められた女郎淵、鍛冶場跡などの形跡あって交易もあっただろう。問題はその先八千尺とも言われる大菩薩嶺にのぼる難路である。
大菩薩嶺を越えて石和、塩山に抜ける峠道は崩れては作り、作っては崩壊して迂回路につぐそのまた迂回路のいたちごっこで完成したことはないというほどの難路であった。四十四巻からなる大作大菩薩峠には主人公机竜之介が黒の着流し、手甲脚絆もつけず、素足に下駄で峠に立つとあるが登山靴と最新ゴアテックスに身を硬め登山として挑む我々には信じがたい軽装登山である。現在の国道の通る柳沢峠ではなく介山荘のある旧道大菩薩峠である。作者中山介山は大菩薩嶺を知らないのではないだろうかとの疑問さえもたれている。
もうひとつの理由がある。それは
西に黒川鶏冠山から大菩薩嶺に続く原生林をぬけて峠にたつと甲府盆地が開け御坂山脈をしたがえた
富士山が正面にどーんと現れるのである。この日本一の大展望にまったく触れてないのだ。

それはとにかく甲州裏街道として類類歴史をきざんできた峠でわある。



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