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平成の虚無僧一路の日記

「女虚無僧」はいたのか 

2018年10月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



天明6年(1786)大坂で初演された『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』は、女が虚無僧に扮して仇を探すという「女虚無僧」の登場。これ以外にも「女虚無僧」の話はいくつかある。それで、浮世絵や大津絵でも「女虚無僧」は 結構 描かれているが、実際に「女虚無僧」がいたのかは謎なのだ。「虚無僧寺」としては、『家康公のお墨付』で「虚無僧は“士分の者”に限る」と規定しているから、女性に「虚無僧の三具」を与えることはできない。だが、『お墨付』で「尺八は 虚無僧以外吹くべからず」と規定しているにもかかわらず、実際には、大名、旗本はじめ、一般の侍や 庶民、遊女なども尺八を吹いていた。遊女が尺八、箏、三絃の合奏をしている浮世絵もある。正規の免許を持たずに、勝手に天蓋や袈裟を自前で作って、尺八も自己流で覚えて、門付けして廻る「偽(にせ)虚無僧」も結構いたようだ。幕府は「一月寺、鈴法寺」に、再三「偽虚無僧」の取締りを命じている。「女虚無僧」がいたとしたら、その「偽虚無僧」だ。天蓋で顔を隠せるので、逃亡するか 仇を探すには 一番良い格好だ。だが、「一曲所望」されて 尺八を吹けないと、「偽虚無僧」として 身ぐるみ全部はがされ、指を折られる。そんなスリルと なまめかしさが、小説や芝居の格好の題材となったのであろう。

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