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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は幕府隠密に非ず 

2018年10月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



内田康夫の推理小説『喪われた道』が、以前TVドラマ化された。冒頭、虚無僧の死体が青梅で発見され、「今時虚無僧なんかいるの?」という疑問からスタートし、虚無僧研究会会長の小菅大徹師はじめ会員も出演協力した。虚無僧の解説で「虚無僧は幕府の隠密だったので、明治政府は普化宗を廃止した」と、さかんに強調していた。このドラマの影響か、私が虚無僧で立っていると「虚無僧は幕府の隠密だったんですってね」と話しかけてくる人が多い。テレビの影響は大きい。残念ながら、その事実はない。吉川英治の『鳴門秘帖』からそのように思われているようだが、あの目立つ恰好で、どうやって他国に潜入できるというのだ。公儀隠密だとしたらすぐ捕まってしまう。刀も隠し持てない。天蓋や袈裟など逃げるにも邪魔でしかない。越後新発田の村上藩では、藩主の堀丹後守が、虚無僧に理解を示し、越後下田に明暗寺が建てられた。そこの虚無僧が図に乗って、「大阪の陣で、家康公を助けた功により」とか、嘘デタラメを寺の縁起に書き、岡っ引きのような「情報提供の役を務める」と書き残しているのが唯一の記録だ。しかし、そのような実績は残されていない。
幕末の京都明暗寺の看首は、禁門の変で長州人を匿った廉で捕えられている。幕府の隠密どころか、討幕派だったのだ。

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