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裏鬼門石清水八幡宮(最終回) 

2018年10月21日 外部ブログ記事
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比叡山延暦寺と石清水八幡宮の役割(3)

伊勢神宮と並ぶニ所宗廟石清水八幡宮
 ☆京都の裏鬼門に位置する石清水八幡宮
 ☆宮の縁起によれば、「大御神は、 応神天皇の御霊なり」とある
 ☆応神天皇が実在したという明確な証拠があるわけではない
 *重要なことはそれが、平安時代の人間たちのあいだで信じられていた
 *即ち、石清水八幡宮の価値を高めた
人々の信仰が厚かった石清水八幡宮
 ☆応神天皇は、天照大神に次ぐ第二の皇祖神
 ☆継体天皇が、関わっている可能性が考えられる
 *継体天皇の先代の武烈天皇は、跡継ぎを決めないまま亡くなる
 *後継ぎとして、越前にいた応神天皇の五世の孫を迎えて即位させた
 *武烈天皇の死にり、皇統は途絶え、継体天皇から新たな王朝がはじまった?
 ☆新たな皇祖神として、八幡神が信仰されるようになったのでは
 ☆天皇は、伊勢神宮よりも石清水八幡宮、上賀茂・下鴨神社を厚く信仰していた
 ☆石清水八幡宮は、京都を守る裏鬼門の位置を占めている
 ☆天皇や上皇(法皇)は頻繁に石清水八幡宮に行幸した
 ☆八幡神は、武家の神とされ足利氏や徳川氏の崇敬も厚かった
神仏分離により風景が一変
 ☆石清水八幡宮には、神宮寺として護国寺が存在した
 ☆鳥羽伏見の戦いで、石清水八幡宮の山下は戦場となる
 *高良社、疫神堂、乗神宮寺、大乗院、神馬舎などが焼失した
 ☆神仏分離令により、社僧たちは大塔をはじめ寺関係の物を売却してしまう
 *鐘は異国に売却され、船に乗せられたが、船は海に沈んでしまった
 ☆還俗した社僧達が、生きていくために金が必要と判断したのでは
 ☆石清水八幡宮の神宮寺、護国寺の堂舎は失われその風景は一変した
近代以前の京都と近代以後の京都
 ☆石清水八幡宮の変貌は、平等院の場合と似ている
 *平等院は、密教関係の堂舎が失われ、純粋な浄土教信仰の空間となった
 ☆石清水八幡宮は、神仏分離によって仏教色が失われ、純粋な神道の空間となった
 ☆近代以前の京都と近代以降の京都は、その風景は根本的に異なっている
 *近代以後、豊臣秀吉を祀る豊国神社が再建された
 *平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建されている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『京都はなぜいちばんなのか』


比叡山延暦寺と石清水八幡宮の役割(3)
(『京都はなぜいちばんなのか』記事より画像引用)

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