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シニアの放課後

<シオトリの唄>E 

2018年10月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:小編物語<シオトリの唄>

「板長、時間は短くていいのです。ほんの少し海苔の話題になれば、長く続いては困ります。あくまでも添え物、脇役として考えてください。あとは時が過ぎても汚れたように見えないように。山葵味はいいですね、考えて見てください」
 女将の意見に、もっともだと、みんなが頷いた。
 大森ならではと、どんな時、どんな料理にかは板長に任された。誠三の都合のいい時に江戸家へ顔を見せてくれればということだったが、海苔屋の毎日に、海苔細工を披露することは月に一度あるかないかだった。
 いつしか、江戸家では元旦に、縁起物として海苔の飾り物を添えるようになっていた。板長の山元にとって海苔細工は難しいことでもなくなっていたが、お正月の飾り物は、誠三一家に任せてくれていた。今日、厚め、薄めに付けた海苔を三百枚持ってきていた。
「今年は、何を作ろうと」
 板長から、五個の大き目の細工物と、お膳への添え物四十個を作ることになっていた。
「去年はお神輿をでしたから、今年は宝船を作ろうと、それでお願いがありまして」
「宝船、いいですねえ。何でも言ってください」
 夏夫と幹夫は、板海苔一枚分を使って、お膳に添える小さな門松を作っていた。

 最後の一組の仕上げを山元さんにお願いして、誠三たちは中山たちの席に呼ばれた。
 中山を含めて、大森の海苔関係者男衆十数人、博史も俊太郎もいた。海苔組合の新年の集まりからの流れだった。
「誠さんいいところへ来た。幹ちゃん、門松、二人で作ったんだって、上手だね」
 中山が気を利かして、二人の作った門松を誉めてくれた。海苔一枚を切ったりして作るとお膳の一角に合う大きさになり、板長が、大根、人参などの材料で作る剥き物の飾りに合わせてさりげなく置いてあった。
 幹夫は、ありがと、と笑顔を見せ頭を下げた。
 海苔三十枚使って、重ねたり折ったり切ったりして造った宝船は、部屋の真ん中に置かれていた。宝船には、俵に似せた小ぶりの稲荷と海苔巻が山盛りに積み上げられ、小判に似せた蒼い海苔が帆の代わりに高々にそびえるように張っていた。
 仲居が宝船をお盆ごと持ち上げた。
「さあ、稲荷俵と海苔俵、それと海苔小判の帆を一枚づつ」
 仲居は、誰という決まりなく差し出し、男衆は稲荷、海苔巻と、帆の小判を素手でつまんでいった。
 宝船の小判の帆は低くなっていった。海苔小判には山葵の粉を塗してあり、口にした男たちの感心した声が聞こえた。
「大森ならでは、誠三さん、いつまでも作ってくださいね。残したいもんだよ、大森の海苔を…」
 一人の男の言葉の終りが少しため息がかって、瞬の間、静かになった。
「さあ、いつものように、大森甚句から」
 芸者のぽんたは、誠三と夏夫、幹夫を部屋の外へ連れ出し着替えさせてから、地方の音に合わせて入ってきた。
「皆様、明けましておめでとうございます。誠三さん一家とポンタが、大森甚句、お目にかけさせていただきます」
 ぽんたと幹夫を前に誠三、夏夫が後方にて大森甚句が始まった。

 〜鳶凧ならョ 糸目つけて コイコイ
  手繰り寄せますョ 膝元にョ キタコリャ ヨイショナ

 〜六郷鳶とョ 大森衆(もの)は コイコイ
  海苔に離れりゃョ 揚りゃせぬョ キタコリャ ヨイショナ

 〜羽田がらすにョ 大森とんび コイコイ
  大師すずめのョ 気の強さョ キタコリャ ヨイショナ

 〜雪はチラチラョ 話は積もる コイコイ
  我しが思いはョ いつけ取るョ キタコリャ ヨイショナ

 〜大森良いとこョ 来てみやしゃんせ コイ コイ
  海苔で黄金のョ 花が咲くョ キタコリャ ヨイショナ

 〜色の黒いのとョ 地声ののどが コイコイ
  今も自慢のョ 浜育ちョ キタコリャ ヨイショナ

 〜鐘が近いぞョ 大師の鐘が コイコイ
  今日は南のョ 風が吹くョ キタコリャ ヨイショナ

 〜さあさ唄えョ 大森甚句 コイコイ
  唄や昔がョ 偲ばれるョ キタコリャ ヨイショナ 

 大森甚句は、江戸時代から伝わる海苔採る男衆(シオトリ)の唱として、ご祝儀の席とかで歌い継がれてきていた。
 地方の唄、三味、太鼓の中に、幹夫、夏夫の四人が一人増え五人になり、五人が…、六人が七人、七人が…と立ち方が増えていった。
 中山だけが見てる人となった。
 四人の踊り出しには、お正月らしい大森甚句を感じたが、一人、二人と男たちが加わるごとに、踊る男たちの動きがおかしくなってきた。
 中山も立ち上がろうとしたところに、女将が入ってきた。中山と女将は小、中学が同じということもあって、みんなも顔なじみだった。
「おやおや」
 女将一人が見る人になった。
 男たちの動きに、軽やかな流れが消え、ちぐはぐにぎこちなくなり、全員、全身に力を込めて踊っているようだった。誰からか、底力の加わった堪え忍び泣きが聞こえた。
 女将は姿勢を正し、男衆の踊る姿を見据えていた。


 海苔採りが終わると船道で、生海苔を笊に小分けしては海水で、お米をとぐように洗いながらゴミなどを除けた。今日四人の採った生海苔、全部で笊八杯、海苔九千枚ほどで上々だった。
「幹夫、たくさん採ったか」
「うん、たくさん採ったよ。見てよ」
 誠三が海苔洗いをしている笊を指差して言った。
「えらいなあ、全部採ったのか。明日からは、学校辞めて、毎日海だなあ」
「毎日は寒いよ。大きくなったら、もっと我慢できるようになるよね」
 海苔洗いをしながら二人の会話を耳にしている誠三の姿を見て、夏夫は、今日来てよかったと思った。一服していると、博史が迎えに来た。朝と同じように親船にべか舟を積んだ。
「幹、まだまだだぞ。さあ、競争しようぜ」
 呑川の船着場で、海苔の入った笊を二台のリヤカーに積むと、夏夫の挑戦に応えて、みんなで、どーこの誰だか知らないけれど、誰もがみ〜んな知っている〜と歌いながら走り出した。リヤカーを押している幹夫の後ろを、誠三は小走りについて行った。
 船着場から博史の家までは海苔干し場が続いて、海苔採りを終えて戻るのはお昼過ぎ、どこの海苔屋も海苔干しの取り入れに忙しい頃だった。
 
海苔干しは、海苔簀に付けた海苔を天日乾燥させることだった。
 簀下し場の海苔簀を、障子のような縦六、横三枚の干し枠にかけ、日の出とともに周囲の干し場に運び立てた。ホシッカエシの女衆の仕事だった。
 充分に乾いていない水気を含んだ海苔は強い直日に当たると縮んでしまうので、初めは海苔を裏面にして、干し枠を少し上向き東南に向けて立て掛けた。
 海苔の乾き具合は、天気、陽差し具合、風の状態でも毎日違って、二、三時間ほど過ぎると、湿った海苔簀が乾き、裏の生海苔も半乾きになり、海苔が海苔簀から剥がれる時に、ピリッピリッ、ピリッピリッ…とかすかな音があちこちから一斉に聞こえてくるのだった。これを大森では、海苔が鳴いている、と言って、海苔を表にして直日にあててくれという合図でもあった。鳴き声を目安に、ホシッカエシの女衆は、いっせいに干し枠ごと表返すのだった。
 海苔干しは、海苔を乾燥させるだけではなく、おいしい海苔を作るための天日干しでもあった。色、香り、味覚に影響し、自然のおいしい海苔ができるかどうか、その日その時の天気次第で、女衆は、裏干し、表干し方の時間にも気を遣った。
 海苔屋の家の周りは、全部海苔干し場だった。海苔干しの邪魔になる高い木は一本も無く、海苔屋でなくても隣家の干し場の邪魔になるような木はなかった。
 天気の悪い時は、ストーブ乾燥をした。天日乾燥のほうが、香りも色もよい海苔ができるのだったが、その日の海苔はその日に仕上げなければならなかった。
 ホシッカエシの女衆は、お昼を立って食べるとも言われるくらい海苔干しに気に使った。
 今日の天気は、少しの風と強過ぎない日当たり具合で絶好の海苔干し日和に、おいしい海苔ができるはずだった。お天気の急変を感じるもことなく、久しぶりに座ってお昼ご飯を済ませることが出来た。それでも干し場から目を離すことはなかった。

 おばあちゃんが母屋の前で、海苔を海苔簀から剥がすハガシッペという作業をしていた。

〜続く〜



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