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平成の虚無僧一路の日記

名古屋本に「虚無僧」 

2018年09月27日 外部ブログ記事
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『名古屋叢書』 第14巻 文学編(1)
「名古屋けん物 四編の綴足」后編 上冊
文化12年正月 東花下成作
P286
「お江戸では どないな 役まわりで あったな」
「まづ、忠臣蔵で。塩谷若狭之助、加古川由良之助二タ役。
しゃしたが、若狭之助が切腹。由良之助が虚無僧の姿で
山科へ来てのはたらき。中々歌右衛門も おされるほどの
大入りさ」
「はて、おもしろい名の忠臣蔵でやな。そりゃ作り替へかいな」
「マァ聞きなせへ。その時の貰ひ物が 幟(のぼり) 五本と
幕を七まく。熊野へ三度。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
虚無僧姿で、山科に大星由良之助を尋ねたのは加古川本蔵。
ごちゃまぜになっているのが面白い。
?
P.398 「狂歌 秋の花」 寛延2年(1749)
「ひとよぎり と読みて送りし歌口も 今は根堀りの 夫婦とぞなる」
?
p.407「並戸安買作 仮名詩祭禮 撰者 椒芽田楽」
 虚無僧 
 十年あまり寒暑いとわず 稽古に妙を得たる尺八
 師匠の蔭でけふぞ晴れする 小唄長唄所望次第に
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは「年代不詳、寛政末か」という。「祭礼」とあるから
「東照宮の祭礼で、呉服町、常盤町の町人が、虚無僧の
格好で流行り歌などを吹いたことを、詩に詠んでいる。
師匠の吹く蔭で、「尺八で小唄、長唄所望次第に」という。
?
江戸時代、「虚無僧以外の者が尺八を吹くことを禁じ、
虚無僧が外曲(小唄・長唄・俗曲)を吹くことは禁じられていた」
などというが、名古屋では一般の町人が虚無僧の格好をして
俗曲などを吹いていた。名古屋には虚無僧寺が無かったから
取り締まられなかった。

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