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平成の虚無僧一路の日記

目黒不動と平井(白井)権八 

2018年09月27日 外部ブログ記事
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子供の頃よく遊んだ目黒不動の傍らに 虚無僧寺の「東昌寺」があったとは知らなかった。虚無僧寺の跡には「平井権八」と、彼を慕って後追い自殺した「小紫」の墓碑「比翼塚」がある。「平井権八」は、鳥取藩(池田家)の家臣 平井正右衛門の子で、父が同僚の本庄助太夫に侮辱されたため、怒って助太夫を切り殺して出奔。江戸に出て、辻斬りをしながら、奪った金で吉原通いをし、遊女小紫(コムラサキ)と深い仲となる。しかし、追われる身であり、目黒不動の側の虚無僧寺「東昌寺」に逃げ込み、虚無僧となった。そして、前非を悔い改め、両親に一目会いたいと虚無僧になって郷里に帰ったが、両親はすでに他界していたため、観念して江戸に戻り自首。鈴ヶ森刑場に晒された。「平井権八」の「ひらい」が 江戸弁では「しらい」と発音されるので、歌舞伎では「白井権八」になったとか。「鈴が森の段」で「白井権八」が雲助どもを切り殺し、「キジも鳴かずば切られまじ…」と言い捨てて立ち去ろうとすると、一部始終を見ていた「幡随院長兵衛」に呼び止められる場面の名セリフ。「お若ぇの お待ちなせえやし」「待てとおとどめなされしは拙者がことでござるかな」などは、歌舞伎を観たことがなくとも、子供の頃から知っていた。「白井権八」と「幡随院長兵衛」は 時代も異なり、二人の話はすべてフィクションだそうで、さまざまに尾ひれがついて脚色されていく。「平井権八」すら 実在したかは疑わしいそうな。「平井権八」が改心して虚無僧になり、故郷の鳥取まで帰ったという話もあれば、咎人(とがにん)であり、虚無僧寺といえども、入れてもらえず、自首して獄門になったという話もある。辻斬り強盗の「平井権八」だが、「美剣士」としてヒーローにしてしまう日本人の感性が面白い。この「白井権八」の歌舞伎のおかげで、「虚無僧になれば、人殺しの罪も許される」というような まやかしが広まっているようだが、現実には不可だった。「仙石騒動」で「神谷転(うたた)」が虚無僧寺に逃げ込んだが南町奉行所の役人に捕らえられる。「虚無僧本寺」を自称する「一月寺」が「虚無僧寺は寺社奉行の管轄」と抗議するが、「虚無僧寺」は「寺」としても 認められていなかったのだ。

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