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シニアの放課後

十牛訓ー28  <後述>A/3 

2018年09月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 自分で自分の心の中をのぞいてごらん。あなた方の心をジーッと自分で洗ってみてごらん。遠慮なく言うと まず他人のためなんていう心もちよりも 自分のためばっかり考えていやしないかってこと。チョイと電車にひとつ乗るんでも バスにひとつ乗るんでも 他人なんかどうでもいい 自分がというような気持が先に出やしないか。
 しかし それじゃ駄目だぜ。人間に与えられた使命というものを貫徹することはできないぜ。進化と向上という使命ね。何で人間がそんな気持にならなきゃならないかということを もう少しようく考えてごらん。人間そのものがこうして生きていられる場合に与えられた恩恵の数々を感謝して考えてみたら どうしても人の世のために尽くさずにいられない という気持がでやしない どう?
 いえねえ 今こんなこと言ってるけども 私ね 最初のうちは こんな気持で今の仕事を始めたんだ。救わないではいられないから救おうと。見るに見かねちまうからね。教えずにはいられないから教えるんだという気持でやりだした。そうするとね 救わずにいられないから救おうと思ってやっても 救えない場合 教えずにいられないからと思って教えてもわからない人間がいると もうどうにもたまらない悶えを感じたんだ。
 <何と説いたらいいか 本当に難しいなあ もう駄目だ。いくら努力しても 本当にうなずいてくれる人がいないなんて ずいぶんだ>って。
 それが いつとはなしに 今は<ただあるがまま>になったけど。ただあるがまま 正しいことを言ってさえすりゃいい。そうすれば 正しいことに共鳴した者がくっついてくるんだから。救わずにいられないとか 教えずにいられないとかという心は まだとらわれであります。ただあるがままに。
 これはね 仏教の<菩薩たる責務>というのをいっぺん読んでから ああ そうかと私 思った。菩薩というのは大悟達成 大事貫徹の人のことをいうんだが あなた方だって 修養を貫徹してごらん。救ってあげようと思わなくても 救っちまうから。この人に教えてやろうと思わなくても わかっちまうから。
 あなた方が他人に いっくら勧めても来やしないじゃないか。<さあ 行こうぜ>と勧めても 来やしませんでしょう。それぞれ自分が黙って歩いていてても 正真正銘それが尊い道だったらくっついてくるに決まってるじゃないか。あなた方が他人に勧めて来ないようだったら あなた方ができてないんだよ。向こうができてないんじゃない。

〜続く〜



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