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シニアの放課後

十牛訓ー27  <後述>@/3 

2018年09月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

<大事貫徹>

  *

 要するに 今日聞いた十牛訓の話は 終始一貫 人間としての正しい発心―<ああなりたい こうなりたい>というその表現を暗示したもので 第八図までが 自分のお願い。九図と十図が他人のお願い。もっと現代語を使えば 第八図までは世の中の人の役に立つための自分をつくる用意のための修行で 九、十図にいたって初めて利他 他人のために生きる命ができると こういうわけです。
 これを正当に解釈すると まず最初は自己完成の修養に努力して その行をつんでのち 今度は利行 人の世のために尽くす行をつむ。これが本当の修行の目的だと こういうわけです。
 わかりやすく言うと 我々が修行するのも 学問するのも 仕事をするのも 商売をするのも 金を儲けるのも 事業をするのも ことごとく衆生済度のため 人の世の幸福を向上しようがため。すなわち 自己のためでなく 他人のため じつにこの私どもが人間として生きるところの世界のためだ。
 今まで考えてなかった?
 女がお化粧して美しくなるのも自分のためじゃない。美しい姿を他人に見せて喜ばせるため。男が一生懸命仕事をして事業を盛大にするのも この盛大にする事業で人の世が潤うため。
 繰り返し言いたい。私どもが心身統一法を熱心に実践 実行する尊い精神努力も 結局自分のためじゃない。ひたむきに人の世のためであるということを忘れちゃならない。その一貫した念願が心の中にないと 本当の修行はできませんぜ。ああ ああ何とか丈夫になりゃいいとか もうちょっとましな運命で生きられりゃいい ということだけを目的としてるかぎりは その目的とした修養に崩れがくるんだ ガタガタが。
 ただたんに 煩悩と離れえて 雑念 妄念がなくなったとか もうこのごろは何を考えるんでも積極的に考えられるように 尊く強く正しく清くなれた ああ ありがたいことだと それをひとり喜び 悦に入ってるのじゃあ 仏教のほうでいうと それは小乗の満足。心身統一法でいうと 相対的な歓喜というんだ。絶対的なものじゃないんだ。
 いわんや ひたすら苦しみを厭い 悲しみ 怖れを嫌い 我が身 我が心の安楽をのみ願っているのは まことに蔑むべく いやしむべき人間なんだ。
 だから かりそめにも我々天風会会員は 断じてただ一つの悟りを求めて満足しちゃならないのであります。言いかえれば 人の世のためにあくまでも尽くすという大慈悲心 本当の人間の心にある思いやりを行なわなきゃいけない。できうるかぎり 自己より他のためを先にする正念を心の中に求めなきゃいけないのです.

〜続く〜



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