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シニアの放課後

十牛訓ー29 B/3 終 

2018年09月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 自分にまだ偏った気持があったり 執着があっちゃ駄目だ。<あるがまま>というのは 自我の偏見 執着から離脱して 本然の自性がはっきりと煥発されたものが<あるがまま>だもん。
 かく言う私なんかがそうだったの 最初 自分と他とを区別して やたらと自分 向こうということを思ってたから骨が折れたんだねえ。さっき言ったじゃないか。いっさいの衆生はみな我と同じ。そうなると楽だよ。自分と他人というものは離れたものじゃないということがわかってくるもん。
 これはねえ ちょっとしたことですぐわかるんだけどもなあ。自分と他人と離れてないこと わからない? どんな些細なことでも 自分ひとりでけっして成しあげることはできないじゃないか。何でもかんでも一人でしてきたの あなた方? それをしょっちゅう言うじゃないか。
 
  箱根山 駕籠に乗る人かつぐ人 してまた その草鞋をつくる人

 ここだよ。自分ひとりが満足して 自分ひとりで やれ うれしいの 悲しいの やれ 楽しいの 偉いの 俺は悟ってるの 悟らないの いや 安心してるの 安泰だの いや 駄目なの 何だかんだの 滑った 転んだの これは自分ひとり 他と区別しちまってるからです。
 なんでもかんでも自分ひとりというふうにしちまえばいいじゃないか。あれも俺ひとり これも俺だと こう思ってる。万人のためだとか 他人のためだとかいうのは方便なんだから することも言うこともすべてみんな他人のためになっちゃってりゃいいんだもん。だけど 最初は他人のためということから入っていかなきゃ駄目だ やっぱりね。
 そのような人間になる情熱をお燃やしなさい。燃やさなきゃ駄目だよ。燃えない火は熱くないんだから。
 今日の十牛の図解は いったい何をあなた方に悟らせたか。聞き方によって考え方は違うけれども しかし あなた方にはある程度の一定した自覚がついたはずだ。要するに 人間の本心の現実発揮のため 私が50余年間説いている心身統一法の修行の階段を それから修行の目的というものをただ一人の牧童と一匹の牛の絵にたとえて教えてくれたんだ とわかってくださりゃ結構です。
 現在のあなた方がこの十牛の何番目にいるかを自分で考えられて ああ まだあそこだと思って 一刻も早く第九 第十にはいる人間になられたならば これはどれだけ人の世のために尊い光になるかもわかりません。
 そうなろうと思う必要はないのよ。なれるんだから。花道をただひとつ行きさえすりゃあ 百花繚乱たる花園に着く。その道を歩かなきゃならないのが人間だと私が言ってることを忘れないように。万物の霊長は心身統一法だけ。
ごきげんよう。

十牛訓 <終>


 <十牛訓>中村天風 終了です!

 ありがとうございました〜



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