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十牛訓ー26 <10−入てん垂手>@/1 終 

2018年09月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 十牛訓十 <入てん垂手>
 さて 十番目 これで終わりだ。
第十番目は 布袋様が立ってる。<入鄽垂手>というんですがね 布袋さんが袋をぶら下げて店に入ってきたってやつなんだ。
 詩が

   身をおもう身をばこころくるしむる あるに任せてあるぞあるべき

 布袋さんが袋さげて 伴人を連れて手をふってるところだ
 まず 布袋和尚を紹介しよう。布袋和尚というのは 非常に我々には各種の絵や彫刻でおなじみの深い人です。支那にも多い。それで弥勒菩薩によく似ているために 布袋は弥勒菩薩の再来だという説もありますけど 布袋の戸籍を洗ってみるとね 明州の奉化県で生まれた人だ。この人の形は 胴が長くて足が短かったっていう。額に生まれながら6本のしわがあって おまけにくる病だった。言葉をだすと ウーウーウーと言ってただけだった。それでしょっちゅう大きな袋をかついで歩いてて このなかにもう一切合財の所帯道具が入ってた。そして 今のように藩翰とかありませんから 部落にいっちゃ おなかへると どこの家えもおまんま時に行って そこでごちそうになって 腹いっぱいになると <さようなら>といって出て行ったという。
 貞明2(916)年甲子3月―書いてあるとおり言うんだから 私は知らない―まさにこの世を去ろうというとき 遺言していわく <弥勒 真の弥勒 分身千百億>。おれの体の別れるところは千百億あるぞ。<時々時の人に示せども 時人自ら知らず>と言って 寂然として死んだというんです。だから 私も死ぬとき何か言おうと思ってる。
 それでその後 衆生に生まれかわるってんだが こいつはちょっと受けとれないよね。いくら昔の仏教だって おそらく同じような格好のやつが生まれたんでしょう。
 非常に度量の大きかった人で 人がほめようと くさそうと 気持ちのなかに何にも感じないで しょっちゅうニコニコ ニコニコ笑ってた人だっていうんだよ。だから よくニコニコ笑ってるのを布袋さんのようだと言うでしょう。もっとも 日本じゃえべすさんようだと言うけれども。
 <入てん垂手>の<てん>というのは<店>と禅の坊さんは解釈しています。私はそれよりも <てん>を人の集まってる<部落>と言いたいんだ。
 第十図は 心身統一法の教えで言わないと何がなんだかちっともわからないだろう。心身統一法で言うと 霊性生活の実行 言いかえると 常に誠と愛でひたすらに 人の世のためになることを言ったり 行なって 実際に生きてる人の姿だと こう言っていい。終始一貫 人間として正しい境涯を生きてる人のことを布袋と言うと思えばいい。あなた方だよ 早い話が。

 十牛訓十 <入てん垂手> 終

(注) <入てん垂手>の<てん>という漢字が入りません。漢字検索では あるのですが〜〜 

詳細<十牛図 - Wikipedia>
https://ja.wikipedia.org/wiki/十牛図

〜続く〜



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