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シニアの放課後

十牛訓ー22 <9−返本還源>B/5 

2018年09月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 昔のことわざにも <大賢は寓のごとく 対人は小児のごとし>というのがある。ヨガの教えでは <哲人 赤子のごとし>と言ってる。まだまだ私はなれない 赤子には。現代の哲人は赤子になれなくても 哲人だと言われるんだから うれしいね これ。
 これも坊さんの言葉にある。<凡夫しばしな賢者を装う。大人の対接態度は凡人の如し>―いい言葉だね これ。
 私がまだ22、3歳の時 頭山満先生に会いたいという人を 孫逸仙(孫文)が連れてきた。連れてこられた人は日本人です。孫逸仙が頭山さんのことを非常にほめたもんだから これはいっぺん会ってみようってんでやって来た。大きな請負師の親方だった。今でいうと暴力団の親分みたいなもんだ。
 頭山さんと一緒に飯を食って 2、3時間過ぎてから 頭山先生が
 <一緒に送ってってやれ>
 それで孫逸仙と私と二人でその人間を送って 宿に着くと 孫逸仙が
 <どうでした 長年会いたいと思ってた頭山先生に会って お気持は?>と言ったら その請負師が
 <なーんだ ただのじじいじゃねえか。何の変哲もねえ
 ただのじじいじゃねえか。話してることはくだらねえことばかりで 何かたいへんいいことを聞かしてくれるかと思いきや 女の話ばかりして なんだ あんなもの>
 こう言ったら 孫逸仙が
 <あれが偉いんだ>
 <どこが偉いんだ?>
 <あれだけボーっとしていながら あの人の言うことはだれでも聞いて あの人のためなら命を捨てようとするものが幾人もいるんだ。普通の人間には あれができないんだ>
 それを私 わきで聞いててね ああ やっぱり 俺が思ってるほど偉いんだなあ あの先生は とこう思ったことがある
 現代人はそう思いませんわ。何か偉い人といえば よほど偉く見える人間じゃなきゃ偉くないんだ。

 そこへいくと 鳥や獣は偉い人間をちゃんと知ってるね。事はここ京都にちなんだ話。
 女でしくじって坊主になった人間が2人いるね 京都には。1人が有名な文覚上人 1人が西行法師だ。両方とも恋にやぶれた。それでまた同じ時代に恋にやぶれたんだから 言い合わせたようだ。ところが 西行の方は 恋にやぶれてから <散るや白波 恋無常>とばかり 歌ざんまいで日本64余州 回国遍歴に向かったな。
 文覚のほうは もうやけのやんぱちだ。こんちきしょう ほんとうにもう 恋がたきを切ったつもりでいたところが 自分の女を切っちゃったんだから。そこで 那智の荒滝にうたれて難行苦行のすえ とにかく坊主になった。もっとも 那智の荒滝にじかにうたれたんじゃないんですよ。うたれたら死んじまうもん。あれ 那智に行って見た人あるだろう。日本一長いもん。あの滝にうたれたら 圧力で死んじまう。あっちのこっちのほうでうたれたんだよ チョコチョコチョコと。

〜続く〜



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