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シニアの放課後

十牛訓ー19 <8−人牛倶忘>@/1 終 

2018年09月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 はい 第八図は<人牛倶忘>
 こらなんと こりゃなんと 何にもない。人も牛もともに忘れちゃった。何にもない。

  もとよりもこころの法はなきものを ゆめうつつとは何をいいけん

 まーんまるいもの 仏様のほうじゃ これを<円相>と言ってます。円相とは何を暗示してるんだろうねえ。これは畢竟 本然の自性 仏性 仏心 天地の大道 特に禅のほうでは 平等 絶対を象徴したものだ。天地の十万はみな空。
 三祖大師の『信心銘』という本に こう書いてある。

  円(まどか)なること大虚に同じ 欠くることなく余ることなし(圓同大虚 無缼無餘)

 これは円相の説明です。つまり この円相 丸は 修養がここまで進めば もはやいっさいの執着を超越して 迷いもなければ悟りもないことを象徴している。
 迷いがないと悟りがないんだよ。さっき言ったね 悪があるから善があるんだ。善があるから悪がある。そうだろ。迷いがないと悟れないんだ。迷いがあるから悟りってやつがあるんだ。
だから ここまでくると もう迷いもなけりゃ 悟りもないの。聖人も凡夫も善人も悪人もないんです。ことごとく超越している。一見の悟り臭い嫌なにおいもなけりゃ いわんや浮雲のような煩悩もない。

  雲もなく月もかつらも木も枯れて はらいはてたるうわのそらかな

 <うわのそら>って あなた方のようにボーっとなってるんじゃないぜ。<空>のことを言うんだ。それが人 牛ともに忘れたというこの丸だ。
 なんだかわかんないような顔して私の顔見てるね。それじゃあもう少しわかるように言おうか。
 もっと詳しくいうとね 嫌味も臭みもないんだよ。嫌みも臭みも かすも悟りも さらに悟りのかすも 病も薬も 名誉も地位も 金も物も すべてのすべてがその心からはなれた状態。これを仏教の方じゃ 放下しつくすと言う。
 善のほうじゃ <仏性独朗>の境涯と言うんだ。恬淡明朗 颯爽溌剌 仏性独朗―仏性とは一人朗らかという意味だ。恬淡明朗 颯爽溌剌というのはそれから生まれてきた言葉なんだ。
 だから 本当のこと言うとね 私は修行してますとか 私はじんせ心理を心得ていますとかといっているうちは まだ臭みがあるんだ かすが残ってるんだ。かすがあったり 臭みがあるのは まだそこに煩悩がある証拠だろう。本当にできてる人っていうのは そこに臭みもなければ なーんにもない。ただの人間と同じようにしか見えません。只今 何かことがあるときだけに違うだけなんです。
 ところが あなた方はえらそうに見える人が偉いんだ。悟ってるように見える人が非常に悟ってると思うんだね。
 この円相から考えてみれば そういう人は本当の人間じゃないということがわかるんだけども そうでないとわかりませんよ。

 十牛訓八 <人牛倶忘> 終

〜続く〜



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