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平成の虚無僧一路の日記

歌舞伎に登場する「虚無僧」 

2018年09月07日 外部ブログ記事
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歌舞伎十八番の『助六』は、正徳3年 (1713)山村座で初演。助六は、黒の着流し、高下駄、腰に尺八を差し、虚無僧をイメージさせているが、天蓋は被っていない。1700年代の初期はまだ天蓋は無かったのか?正徳5年(1715年)、二代目市川團十郎が、中村座で『坂東一寿曾我(ばんどういちことぶきそが)』で、曾我五郎を演じた時、 "虚無僧"に扮した場面があり、これが大当たりしたという。「編み笠」に「寿」の字がいれてあり、それは「越後屋」のマークで話題になったそうな。スポーツ選手がスポンサー企業のネームをつけて出場するようなものだ。「編み笠」となっているから、現行よりは浅い。翌年(1716)、中村座の『式例寿曾我(しきれいことぶき)』では、曾我の世界に助六がとりこまれ、助六=曾我五郎という設定が生まれた。そして、その扮装は現行に近い天蓋、尺八、黒の着付といったものになっていたという。ひょっとして、「天蓋」は 歌舞伎の演出として創られたのではないかと思える。そして これが 江戸中に「虚無僧姿」を決定づけたものとなったという。ただし、現在の『助六』は「天蓋」を持たない。はっきりと 虚無僧が登場するのは、『仮名手本忠臣蔵』。人形浄瑠璃としての初演は寛延元年(1748年)。江戸では翌 寛延2年(1749年)森田座で初演されている。「加古川本蔵」が「虚無僧」となって山科の閑居を訪れる。この頃には「天蓋」は現在のようなものになっていて、上演の時は、虚無僧本寺の「一月寺・鈴法寺」に 金品を納めて“使用許可”を受けたという。

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