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十牛訓ー14 <6−騎牛帰家>A/5 

2018年09月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 しかし それを考えると 天風会に入ったことはうれしいなあ。私は本当にうれしいと思ってる 自分自身ねえ。心身統一法の会得と実行ということは 期せずして人生を天下太平 文字どおり安心立命 仏教の言葉でいえば 一大無心境。ちょうどこの図のとおり あの荒くれて始末にいけなかった牛が 今度はもう座布団同様おとなしくなっちゃって そしてのーんびりと笛を吹きながら乗ってる自分も 乗られてる牛も一つになって帰ってきてる。
 そういう気持と同じ気持になりうる方法が心身統一法だってことを 私自身は私自身で信じてる。だから 世界中の金をくれたって 今さらほかのことをやろうとは思わない。
 とにかく もう少しここのところを詳しく説明するがね <騎牛> いわゆる牛に乗るという意味 すなわち人間の求める正しい獲物とは 何んだろう。人間のほしいと思う正しい獲物とは人生真理だもん。人生真理をその心が完全にとらえ得て 一致してるときのことなんだ。
 それで<帰家> 家に帰るというのは 右のような心と境遇が一つの境地になった世界のことを言う。
 こう聞きながら 自分がそこまでもほど遠い人間であっても <あ 駄目だ>と思っちゃいけないよ。<ああ それじゃあ どうしてもそこまでも行くんだ>という気持を出さないとねえ。真にあるべき人生というもののところへ自分でいかなきゃあ。
 いえいえ そういうことは無駄なご注意かもしれない。ここに集まった人々は まず持ってこの世界 この境地を早くめざして えいえいとして突進しなさい。この世界こそ人生の真の理想郷うだもん。
 栂尾(京都)の明恵上人という人が 安心立命の大儀を檀家の信者に説いた話に <らしくせよ>というのがあるがね。
 ある檀家の信者が
 <毎度のお説教で もうすっかり私の心の中の垢は取れたように考えますけれども ただ一つ このごろヒョイと心をのぞいてみますると 死んだ後がどうなるだろうか このまま一体どんな人間になるのであろうか この家の商売の行く末はどうだろうか ということを考えましてなあ おっしゃるとおりの安心立命というような気持になれませんのでございます。
 もうとる年でございますので お迎えを待つだけでござりますけれども まだ悟りが足らないと思いますので どうぞそこをひとつお悟しを願いたいものでございます>
 そしたらね
 <それはいとたやすきことながらのう 人間 今生の御大事じゃ。心も身も清めてござれ。六根清浄してからお悟しいたそう。まず手っとり早い話が 七日七夜のあいだ茶断ち 塩断ちしてござれ>
 昔の人は茶断ち 塩断ちが六根清浄の序の口だと思ったらしい。そして七日七夜のあいだ六根清浄なってから さて きょうこそ安心立命のお悟しを受けると思って 喜びいさんでお寺へ来ると 明恵上人が
 <本堂にござれ。ご本尊の前でお悟しをお聞かせしよう>
 それで明恵上人は 自分の持ってる大上人の位の僧服を身につけられて 本堂に出られて 須弥壇の上から
 <よく承れ>
 ハハっと手をついて檀家の信者がひれ伏すと
 <安心立命の大儀というのは難しいことではござらん。ただ一言ですむ。ようく耳をそばだてて聞きなされや。安心立命の大儀はのう らしくしなされ らしく生きなされ これだけじゃ>と こう言った。
 聞いた信者はびっくらこいちゃった。どういう難しい 尊いことを言ってくれるかと思ったら <らしくしろ らしくしろ>
 しかし ばかでない信者はよく考えてみたら ああ そうか わしは仏様の信者でありながら ちっとも仏様の信者らしくしないわ と思った。

〜続く〜



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