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シニアの放課後

十牛訓ー13 <6−騎牛帰家>@/5 

2018年09月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

はい 第六図は <騎牛帰家>というんです。
 この図はよく普通の絵で見ることが多いでしょう。あなた方。この図は何を一体ぜんたい暗示してるかというと 今までなっかなか手なずけることのできなかった荒牛も しだい次第に飼い主の思うように馴れてきて もはや背中の上に乗って のんびりと笛を吹いて 牛とともに楽しみながら家に帰れるようになったわけだ。
 詩の方は

  かえりみる遠山道の雪きえて 心の牛にのりてこそゆけ

 これを心身統一法のほうでいうと もうちゃーんと日々の人生が あえてたいして注意しなくとも また努力しなくても 知らないあいだに心身の統一の正しい境地に生きられるようになったというところなんだ。このなかに幾人かそうなってる人がいるでしょう。全部なったといいたいけれども そうはなってない人が多かろうから。
 これは坊さんのお説教によくあるんだけれど 我々人間はだれでも ちょうど百万長者の恵まれた人のこと生まれたと同様な 幸せな 万物の霊長という人間に生まれていながら 哀れにも己の汚い我の心の迷いから 幸せの住み家から離れて その日の食い扶持にも困るさながら乞食のような人間になったと。長いあいだ―これを三界無宿の苦しみと仏教の方ではいうらしいですね―三界無宿の苦しい日々を送って 良いとか悪いとか 違っているとか 真直ぐだとか言う いわゆる是非善悪 邪正曲直の巷に流れてる藁っくずみたいに ウロウロその日その日を流されるような暮らし方をしている。そして やれ 名誉がどうの やれ 金儲けがしたいの あの女が この食いものがというふうに 欲の山の中で悶え 悩む。
 心身統一法では 人々は自分自身の命のなかに 自由に自分の健康をたてあげて そして また運命をも立派に改革しうるところの潜在力というものが生まれながらに与えられているんだ と教えているでしょう。
 したがって その力のだしようを考えつ付けば 人間はだれでも幸福に 運命的にも健康的にも生きられるんだが その力のだしようを考えつかないで その結果 やたらと病に冒されたり あるいは周囲に悩まされて もっともっと幸福に生きられる人生を 我れから物好きにも不幸にしている。
 要するに生き方が人間の本来の面目から遠ざかっているからだと 私がしょっちゅう言ってるね。
 これを思い当たらなきゃいけないんだよ。実際よおく考えてみなさいよ これは本当に。わかってるだろうけれどもね。自分たちの過去を つまりこの天風を知らなかった時代のあなた方を考えてごらん。そかし まあ幸いに私のところに来られて 私の教えを聞いたあなた方は もう今この図のとおり 本当からいったら 本然の自性という牛をとらえ得て つまり心身統一法を会得してるはずなんです。そして着々と牛の野獣性を洗い清めて 雑念 妄念を心の底から払い落として 本心を煥発して得たと同様な人生幸福にみちてるはずなんだ。
人生の本当の幸福というのは 病と煩悶と貧乏 この三つがないことだ。そういう不幸は 自分以外の人の身の上にはあるかもしれないが もう私にはないんだと。そのすべてが なんと自分の命の中から用のないものになっちゃって 命の力が十分に発揮できるようになったという状態がこの騎牛帰家なんだ。
 だからそうなってない人は まだ牛に乗って家に帰れない人なんだ。相変わらず牛と取っ組んで 油断すりゃ牛が逃げ出そうとしてるので ああ しょうがねえ しょうがねえ それで牛に引っぱられたり ひっぱたりしてる人なんだ。自分のことがよおくわかるだろ これを聞いてるうちに どれだか。
 たいていの人は 幸福を自分たちから逃げよう 逃げようとしているもののように考えているが そうじゃなくて 見つけ出した幸福をつかまえることはつかまえても 本当の自分のものにしないからなんだ。


〜続く〜



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