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日本国宗教の変化4(復習13) 

2018年09月04日 外部ブログ記事
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仏教はどうのようにして今の仏教に(4)

武家に愛された新仏教禅宗
 ☆臨済宗は禅問答、曹洞宗は座禅で悟りをめざす
 *学術的な方向に行きがちだった仏教のなかで、禅宗は、座禅により本来の自性に目覚める
 ☆臨済宗は、栄西が開祖
 *禅寺寺院格付制度の「鎌倉五山」「京都五山」は、室町幕府のもとで制定された
 *臨済宗は、座禅を取り入れましたが「公案」という手法を重視
 *禅宗とともに中国から喫茶の習慣を持ち帰る
 ☆曹洞宗は、道元が開祖
 *曹洞宗は「只管打座」
 *炊事や清掃にはじまる日常作業も修行の一環とされている
 *侘び寂と清貧の精神(日本の精神文化の一面を支え続けた)


鎌倉仏教・日蓮宗
 ☆南無+妙法蓮華教(お経に帰依する宣言)
 *日蓮は法華経こそが釈迦の真実の教えと会得した
 ☆「立正安国論」で将軍に邪宗禁教を献策
 ☆未曾有の国難・元寇で大祈祷実施し国難を免れたとしている
 ☆異彩を放つ日蓮宗(一神教に近いイメージ)
禅宗文化から下克上の戦国へ
 ☆鎌倉幕府から室町幕府
 *京都五山を中心とする臨済宗寺院は、中国の明とも交流
 *五山文学や建築文化が花開きます
 *喫茶の習慣や絵画、陶磁器といった外来の文化が禅僧により輸入された
 ☆戦国時代に浄土真宗の王国が誕生
 *蓮如は、福井県吉崎に最初の拠点を設け、北陸の大勢力となります
 *一向宗(浄土真宗の別称)の門徒たちは守護大名を追い出す
 *一向宗の門徒による政治が行われ、加賀の国以外でも、一向一揆が頻発する


信長と秀吉の宗教弾圧
 ☆自ら世俗権力と化した戦国末期の仏門たち
 ☆信長の敵は延暦寺とー向宗
 ☆カトリツク勢力に脅威を感じた豊臣秀吉のキリシタン対策


江戸時代、仏教政策の集大成
 ☆信長に対抗した石山本願寺
 *信長と和睦し本願寺を退去し、秀吉により京都市内に本願寺再興する
 *浄土真宗が血統をめぐって争いが絶えないので家康は調停する(東西本願寺)
 ☆徳川家康と宗教政策、領民の戸籍を寺が管理する寺請制度が葬式仏教の元凶
 *儒教を取り入れ、キリスト教を廃した家康
 *宗教団体を幕府の監視体制に置き、体制側に組み入れ体制側に組み入れた
 ☆家康は、江戸の都市計画に風水を取り入れる
 ☆キリスト教徒の迫害と宗教戦争
 *キリスト教の「踏絵」や「密告」によるキリスト教徒摘発・弾圧
 *領民の蜂起を呼び島原の乱が勃発
 ☆寺小屋の貢献
 *日本人の教育水準や倫理観が、当時の世界最高水準を行くまでに向上した



江戸時代、宗教が観光・娯楽となった
 ☆神社仏閣参りが庶民の観光になり、参道での市が開かれる
 ☆信仰対象は世相や産業構造の影響を受ける
 *江戸時代には、現世利益を願う信仰が盛んになる
 *生死すら保証されない時代、来世での幸せを説くものに宗教に人気が集まった
 *農業が主力産業だった時代の信仰には、五穀豊穣・雨乞い
 *商業が興隆し、商売繁盛を願う信仰も生まれた
明治維新と神仏分離
 ☆天皇中心の政治にもどり、宗教界もリセットされた
 ☆尊皇論が中心にあった討幕運動 
 ☆宗教政策は明治政府の最重要課題
 *明治政府の宗教政策の影響を最も受けたのは仏教界
 ☆住職も世襲制に(住職の婚姻を認める)
 ☆新宗教ブームによる教派神道が成立


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出典、『手にとるように宗教がわかる本』
(画像『手にとるように宗教がわかる本』より引用)

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