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十牛訓ー9 <2−見跡>A終 

2018年08月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 とにかく 禅はちょっと似てるでしょう 天風の教えと。<事実に即して習得するところあれ>というのが禅の目的なんだ。<たんなる理屈や理論では駄目なんだ。理論は事実そのものじゃないじゃないか。それは 事実に対する概念じゃないか。経典や語録というものは ちょうど鏡に写った影と同じもんじゃないか>というのが禅の主張なんだ。もちろん その影は人類から遠ざかったものではないけれど 人類そのままの正体じゃない。正体でないもので満足はできないじゃないか とこう言うんだ。
 確かにそうだね。<お座敷小唄>にあるもんね。<お声聞きたきゃ電話あり お顔見たけりゃ写真ある。これだけ便利な世の中に 会わなきゃできないこともある>ってねえ。笑いごとじゃない。ああいう歌はまったく真理そのものなんだ。
 だから 語録や経典だけじゃ満足できないでしょう。本を読んだり テープを聞いたり 話しを人から聞いただけで 我が意を得たと思うような人がいたら これはあわてもんなんだよ。
 ところがね そういう修行で満足してるやつが多いんだよ。この天風会員にもいるけど 禅のほうには。これは間違いだと道元禅師のごときもやかましく言ってるけどもね。
 しかしまあ 正体をとらえる手段としては 経典や語録は一つの生きながらえる方便だから 自分から知ることも必要だろう。何がなしの手がかりがなきゃ 上へあがっていかないんだから その手がかりだっていうんですよ。この<見跡>は 牛の足跡を見つけた いわゆるお経の本や語録を読んだということは 順序の第二としてはやむをえないことだというんだ。
 だけど それだけで安心しちゃいけないぞというので この絵にもあるとおり これからその足跡をたどってドンドン探しに行こうってんだ。つまり 正体をつきとめるわけだ。どこまでも探すっていう気持は捨てないぞということがこれには書いてあるんだ。
 心身統一法のほうでは常に私が まずとにかく因縁を結んで できるだけ新しい人を連れてきなさいとあなた方に言ってるね。そうして あなた方一人の喜びでなく その喜びを分けるということが尊い<功徳>になるんだから。
 功徳というのをチョイと講釈するが 功徳というのは つまり 自分の徳をつむことなんだ。功徳は人のためにやるんじゃない。自分の徳をつむためにやるんです。功徳をしなさいと言ってるのも ここに足跡があるよ 足跡があるよと知らせてやると 足跡をたどって 正体をとらえようという気持をだす者が出てくりゃあ その人が救われて それだけ自分の徳をつむことになるわけだろう。
 とにかく 人生を正しく解決しようと思ったら 物事を一方的に見ちゃいけないぞと 常に私が言ってるでしょう。やさしい言葉で言うと 外と中と両方から見ろ。それを学問的に言うならば 科学的に考えると同時に 哲学的に考えろと。哲学的に考えると 科学的な考え方がおろそかになるし 科学的に考えると 哲学的な考え方がおろそかになるから 両方から見なきゃいけないよといってるのも 結局は理屈でなく 本当の正体をつかませたいがために言ってるんだからね。
 だから 足跡を見て満足してたんじゃ駄目なんだぜ。ところが いるんだよ そういうのが。いやしない?いっぺんか二度 私の話を聞いて <後は本を読みゃわかるわい><本を見てるから あれはわかってます>というやつがいるんだよ。

 十牛訓二 <見跡> 終


〜続く〜



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