メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「牧原やお」は「武田惣角」の義姉? 

2018年08月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



会津藩家老の西郷頼母(たのも)は、会津藩のお家芸「お式内」の伝承者であり、それを会津のお抱え力士の家に生まれた「武田惣角」に、「大東流柔術」として伝えたという。この「武田惣角」について研究されている「池月英」という方から、私のブログに、情報が送られてきた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「明治9年の新戸籍に、士族「佐藤忠孝」の妻「やお」。牧原勘太輔の妹で、会津坂下町中町に住んでいた」という記録があるとのこと。「佐藤忠孝」は、会津藩士(御供番百石)で、会津坂下(ばんげ)御池田村の「武田惣角」の貸家に住んでいた。そして「忠孝」は、力士の「武田惣角」に剣術を教え、坂下の渋谷道場に一緒に通ったりの仲で、佐藤忠孝の妹「コン」は「武田惣角」の妻になった。「佐藤忠孝」は、坂下(ばんげ)で、小学校の教師をしており、「(牧原)やお」との間に、三男六女が生まれた。「やお」は、明治40年3月14日死去(50歳)霊号「八尾姫」青津村亀ヶ森の墓地に葬られたが、その後、隣の青木村に移転し、正徳寺に佐藤家の墓があり、「やお」の墓碑銘もある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つまり、「武田惣角」の妻の兄が「佐藤忠孝」で、「忠孝」の妻が「牧原やお」。血はつながらないが、「牧原やお」は、合気道の始祖「武田惣角」の「義姉」ということになる。そして武田惣角に武術を教えたのは「牧原やお」の夫佐藤忠孝。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ