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<心に成功の炎を>102/略年譜?  

2018年08月03日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

中村天風師 略年譜 <427頁>

一八七六年(明治九)七月三十日
 東京都豊島郡王子村(現東京都北区八王子)で 父祐興(すけおき) 母テウの三男として生まれる。
 本名 中村三郎
 父は九州柳川藩主の一門の出で 大蔵省抄紙部長の要職にあった。母は江戸生まれの明朗快活な女性であったという。
 当時 王子にあった大蔵省の紙幣寮の官舎に印刷技師として来日していた英国人夫妻にかわいがられ 日常の中で英会話を身につけることができた。

一八八九年(明治二十二)頃
 東京本郷の小学校を卒業。九州福岡の修猷館に入学。

一八九二年(明治二十五)十六歳
 修猷館を退学。親族で農商務省次官をしていた男爵前田正名氏の紹介で頭山満翁の玄洋社に預けられる。その気性の激しさから「玄洋社の豹」と綽名される。
 同年 陸軍中佐で軍事探偵の河野金吉氏の鞄持ちとして日清開戦前の満州および遼東半島方面の偵察 調査に従う。約1年の偵察行動の間に中国語を習得する。

一八九四年(明冶二十七)頃
 学習院に入学するが すぐに中退。
 この頃 岩崎久弥氏に知己をえ 以降親しく交わる。

一九〇二年(明治三十五)二十六歳
 参謀本部諜報部員として採用され 特殊訓練をうけた後 満州に潜入。日露開戦前の情報収集と後方攪乱を工作する。

一九〇四年(明治三十七)二十八歳
 日露戦争勃発 軍事探偵としてめざましい活躍をする。
 この間 コザック騎兵に捕えられ 死刑宣告を受ける。銃殺寸前 同志の投じた手榴弾に吹き飛ばされ 奇しくも九死に一生をえる。
 また 万里の長城で偵察中に狙撃され 飛び降りたはずみに意識不明数十日の重傷を負う。以来 その後遺症としてたびたび強度のめまいに襲われる。さらに 爆傷により両眼に重度の視力障害をうける。右手中指は神経切断のために曲がらなかった。

一九〇五年(明治三十八)二十九歳
 選抜された屈強百十三名の軍事探偵のうち帰還した者は わずか九名にすぎなかった。
この頃 根津嘉一郎氏に乞われ 同志が会長をつとめる大日本製粉(のちに日清製粉と合併)の重役として経営にたずさわる。

ー続くー



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