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<心に成功の炎を>103/略年譜? 

2018年08月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

一九〇六年(明治三十九)三十歳
 奔馬性肺結核発病 死に直面する。当時 結核に関する最高権威といわれた北里博士の治療を受けたが 好転せず。医学 宗教 哲学 心理学の書を読みあさる。

一九〇九年(明治四十二)三十三歳
 「座して死を待つよりも」と救いの道を求め 身分を偽り病身をおしてアメリカへ渡る。
 『How to get what you want(いかにすれば希望を達し得るか)』の著者でアメリカ随一番の青年哲学者といわれたスウェッド・マーデン氏に会うも 得るものなし。
 病状が一時小康を保つ。コロンビア大学にて医学を学ぶ。
 ロンドンに渡り H・アデントン・ブリュース博士の講座「精神活動と神経系統」に参加する。
 フランスに渡る。オペラ女優サラベル・ナール女史の紹介でリヨン大学のリンドラー博士に会い 「鏡による暗示法」を教わる・
 病状悪化するが 再びサラ女子の紹介でドイツにも赴き 哲学者ハンスドリュース博士に会うが 求める回答はついに得られなかった。

一九一一年(明治四十四)三十五歳
 同年五月 帰京を決心。その途上 カイロのホテルで偶然にもヨガの大聖人カリアッパシにめぐりあう。
 同師に連れられ ヒマラヤ山脈第三の高峰カンチェンジュンガ山麓のゴーグ村に入る。二年数か月の修行により 悟入転生の新天地を拓く。日本人にして初のヨガ直伝者となる。

一九一三年(大正二)三十七歳
 帰国途上 上海に寄り 竹馬の友で当時の支那(中国)大使山座圓次郎氏に会う。同氏の要請で第二次辛亥革命に参加。劣勢の孫逸仙(孫文)を助け 最高政務顧問として尽力するも 二か月にして革命挫折。帰国する。
 帰国後数年にして東京実業貯蔵銀行頭取をはじめ いくつかの会社を経営 実業界で大いに活躍する。

一九一九年(大正八)六月八日 四十三歳
 突如感ずるところあり それまでのいっさいの社会的地位 財産を放棄し 救世済民のため単身独力で「統一哲医学会」を創設。毎日 上野公園や芝公園にて辻説法を行う。
 同年九月 検事長向井巌氏に見い出され 同氏の紹介で時の総理大臣原敬に会う。原氏をして 「この人は大道で講演をさせておく人ではない」と言わしめる。
 この頃 聖将東郷平八郎元帥 儒聖杉浦重剛翁 鶴見総持寺石川素童禅師をはじめ 政界・財界の有力者が次々に入会する。

一九二三年(大正十二)四十七歳
 司法大臣横田千之助氏の懇請により 朝鮮K南鉄道の騒擾<ソウジョウ>事件を鎮める。これを機縁に朝鮮総督斎藤実氏知己をえ 同会朝鮮支部を設置。

ー略年譜 続くー



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