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<心に成功の炎を>93 

2018年07月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 <訓言十七> 幸福ということに関しての自分自身への顧みについて。
 
 幸福というものは 人に自分の幸福を話すときよりも 人にも自分と同様の幸福を感じせしめるときのほうが本当の幸福だ。
 どう思います。あなた方? 私はこの仕事を始めて はじめて私はいまいったことを感じた。
 インドから帰りたて もうそれは本当に自分でもまったく今まで考えていなかったような力強い自分というものができあがっちゃったでしょう。体は完全なるうえに 私の生命の中のあらゆるすべての力 とくに精神的方面の力 テレパシー<感通作用>だとか クレポヤンス<透視作用>だとかのすぐれた力が出てきたときに それを家族をはじめとして 知り合いに話すときは 非常に幸福を感じますわ。
 八年前 日本をでるときには 凡俗の むしろ一番下積みの一人であった私が 八年後の今日 帰ってくると まあまあとにかく 百人寄せても千人寄せても とうてい彼らにまねさせることのできないほど 非凡な力が出てきた。 <これは本当になんともいえない幸福だ> といえば 聞いてる者がとくに身内であったり 非常に仲のいい人だと <ああ お幸せですねえ>といいますがな。 それはもう実際 幸せに感じますよ。
 あなた方だって できないことができるようになってごらん。きっと幸せに思うから。
 ところがだ それよりまだ幸福は 自分と同様の幸福を実際にほかに感じせしめてごらん。四十年もこうやってこの仕事して 私にほど近い力をどんどんこしらえあげて その人たちも尊い力で生きられる姿を見せてくれたとき 自分がそうなったときの喜び以上の 形容のできない大きな幸福を感じるものなんです。
 だから あなた方がこのお道に入って このお道でもって人生に生きる生き方の面目を一新するならば それだけで非常な喜びなんだけれども それをまた人に語って またその喜びが 次から次へと伝わっていったときを考えてごらん。あなたからご紹介を受けた人が あなた方同様に 健康もよくなり 運命もよくなったのを見たとき どんな大きな喜びを感じるか。
 だから 幸福というものは 自分の幸福を人に話すときよりも 人にも自分と同様の幸福を感じせしめたときのほうが幸福だということがすぐわかる。

<訓言十八> 自己を完成し その力の許す限り偉大な人となることが およそ人間の一番の幸福であると同時に それがまた 人間の第一の義務である。

 こう考えて 私は自分自身を一生懸命研ぎあげて いまだに研ぎあげることに怠りありません。今いったとおり できる分量が多けりゃ幸福だと同時に それが人間として生まれたものの義務なんだ。そうなるのが当たり前だってことになるわけだな。
 だから 十年一日 阿房宮<編集注 中国秦時代の未完の大宮殿>のごとく いつまでたってもえらくならねえ人は これは義務を尽くしてないわけなんだね。わかった?
 こういうような考え方で私は一生懸命に 修行をつらいと思わなきゃ どんな難行苦行だって もうやめちまおうなんて思わなかった。義務だ 義務だと思ってるから。

ー続くー



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