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松本死刑囚ら7人死刑執行、疑問と課題 

2018年07月19日 外部ブログ記事
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7月6日(金)にオウム真理教の一連の事件に関係した元代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(63)を含む7人の死刑が執行された。その7名を以下に並べると・・・・・ 1.麻原彰晃(あさはら・しょうこう)63歳1984年にヨガサークル「オウム神仙の会」を設立。座禅を組みながら浮き上がる「空中浮揚」の写真で話題を集め、87年に「オウム真理教」に改称した。95年の地下鉄サリン事件のほか、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件でも起訴され、計13事件で殺人罪などに問われていた。  96年に東京地裁で始まった公判では「弟子が事件を起こした」とほぼ全ての事件で無罪を主張した  2.井上嘉浩(いのうえ・よしひろ)48歳麻原死刑囚に寵愛されて地下鉄サリン事件当時は、「側近中の側近」とも評される。スパイ活動する諜報省のトップを務め、教団の非合法活動を裏から取り仕切った。地下鉄サリン事件では実行犯チームの現場指揮を取った。3.遠藤誠一(えんどう・せいいち)58歳京都大学大学院でエイズウイルスの遺伝子解析をしていたが、1987年に入信。「第1厚生省大臣」として、ボツリヌス菌や炭疽菌など細菌兵器を研究し、サリンの製造でも中心的な役割を果たした。麻原死刑囚の四女の「許嫁」だったという。 4.土谷正実(つちや・まさみ)53歳筑波大学大学院で有機物理化学を専攻。1991年に出家した。93年にサリンの合成に成功。94年から95年にかけて起きた松本・地下鉄両サリン事件で使われたサリンと、信徒などへの3件の襲撃事件で使われたVXガスを製造した。 5.中川智正(なかがわ・ともまさ)55歳1988年に医師免許を取得した。研修医として1年ほど勤め89年に退職して、オウム真理教付属病院の顧問になった。出家の約2カ月後、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯に選ばれた。その後、麻原死刑囚の主治医となった。同時に松本・地下鉄両サリン事件など教団が犯した凶悪事件のほとんどに関わった。 6.新実智光(にいみ・ともみつ)54歳オウム真理教が起こした7件の殺人事件すべてにかかわり、計26人を殺害したとして殺人などの罪に問われた。この人数は麻原の27人に次ぐ多さ。最古参信徒の一人。事件について裁判では「グル(麻原死刑囚)の指示であれば、人を殺すことに喜びを感ずるようでなければならない」と公言していた。 7.早川紀代秀(はやかわ・きよひで)68歳1986年に入信した。麻原死刑囚の著書を読んだことがきっかけだった。翌87年には全財産を寄付して出家。麻原死刑囚より6歳年上で、教団では「おやじ」と呼ばれていた。教団内ではゼネコンの勤務経験を活かして土地買収などの先頭に立ち、「建設省大臣」となる。信徒の殺害事件や、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の一人として関与した。                                                           *7名の死刑に関しては、予告もなく突然、刑が執行されたように思える。死刑執行の時期がはたしてよかったのかどうかもわからないままに、事件に終止符が打たれた。ぼくの何かスッキリしない想いに対して、ジャーナリストの江川紹子さんが書いた記事「オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える」がぼくの疑問に対するヒントを色々与えてくれた。 まず、松本智津夫(麻原彰晃)は裁判中に精神を病み、心神喪失状態になって何も語れなかったといううわさも流れていたのだが、それでも死刑にする意味があったのか?マスメディアでは、まるで決まり文句のように「真相は闇の中」というフレーズがよく使われている。その件に関して以下、江川さんはこのように述べている。そういう人たちは、裁判をちゃんと見ていないし、裁判に関する記録や報道も丹念に読んでいないのだろう。裁判は、判決公判だけ見ればすべてが分かる、というものではなく、また、裁かれたのは、麻原だけでもない。彼を含めて192人のオウム関係者が起訴された。その裁判を通し、事件の動機も含め、刑事事件としての真相は概ね明らかになっていると言える。 確かに、麻原自身の口から事件の真相めいた事柄が語られたことはない。そのことに、納得できない人がいるのは当然である。ただ、残念ながらそれは彼自身が選択した結果だ。その無責任さを責めることはあっても、それを心の病のせいにするのは違うだろう。 江川さんは麻原彰晃は次第に意味不明なことをつぶやいたり、法廷で居眠りをするなど異常な状況が続きながらも、正常な判断応力はあったことも述べている。また、彼は弟子の法廷に呼ばれた時には、結構饒舌に語っていた。心神喪失どころか、自らを防御するための実に合理的な対応もとっていたという。 かつての幹部を含め7人もまとめて死刑が執行された事にたいしては、法務省は説明する必要があることを主張している。さらにオウム事件の最大の教訓は、『人の心は案外脆い、』ということだと述べ、オウム事件の事実を伝えていくことの決意を述べている。 どんな人であっても、タイミングや条件が合ってしまうと、思いの外簡単にカルトに引き込まれてしまう。だからこそ、その心の支配の仕組みはもっと研究されるべきだし、カルトの怖さやその手口を若い人たちに教えていく必要がある。そのためにも、オウム事件では何があったのか、事実をしっかり伝えていかなければならない。  最後に、江川さんは『地下鉄サリン事件が起きた1995年以来、繰り返しお願いしてきたことだが、高校のカリキュラムの中でカルトに対することを、若い世代に伝えてほしい』と述べている。ぼくは、高校と言わず、中学校のカリキュラムからその危険性を知識として伝えることが必要ではないかと思った。参照:オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える    サリン事件死刑囚 中川智正との対話 

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