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<心に成功の炎を>83 

2018年07月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 ところが 何事ぞ とくに日本人と支那人は 食欲と睡眠欲は平気でいうけれども 性欲というと何かはしたないようにいうんだ。子供なんかがチョイとでも性欲の話をすると 目くじら立てて親は小言をいってる。小言いいながら 夜は夫婦でお互いに性欲を楽しむ。こんな矛盾の世界があるか。性欲は卑しきに似たりといえども 人倫のは大本だ。これがあってはじめて系統は相伝せられ 子孫は増えてくる。
 男だけ考えろ。 年頃になると 何となく あの性欲というものがでてくる。どんな気分だって 品物で見せるわけにはいかないけど 知ってるね あなた方。あの妙な気持ちよ。キナキナと モヤモヤと。そして何となくなつかしい気持ちよ。後で 女のほうにも言うぞ 男ばかりじゃないぞ。
 そうすると そういう気分の出るようになった体には 前立腺の中に精液が湧き出す。だから 性欲だ出るというのは 精液が自然と発育につれて前立腺の中に出てきたから性欲が出るという学者と 色気づいてきたにつれて精液ができるんだという 原因と結果とあべこべに説いてる生理学者が 二色に分かれてるが 私は気分が先だと思う。
 つまり結局 人間は気分でできてるんですよ。この宇宙の中に編満存在する不思議な気分の中に 人間となるべき気分が漂っているのよ。
 まだインドに行く前ですが 森田吾由禅師という人の著した本の中に こういう言葉を見つけたんです。<闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれる先の父の声を聞く>。
 ずいぶん無理な話だねえ これ。真っ暗闇に 烏だから 真っ黒だから見えないはず それを<闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば>というんだ。私はこの発句から導きだされる 結句 すなわち<生まれる先の父の声聞く>ということがわからなかった そのときに。坊さんなんてのは へんてこな寝言いってやんなと思った。
 インドへ行く前のおろかなる時代 私はこの歌の意味がわからなかったよ。インドへ行って だんだん話を聞くにつれて ああ そうかとわかってきた。<闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば>というのは 無声の声です。宇宙は断然声なき世界 何の響きもない世界。そこにあるものは 生まれる先の父である<気>だけがあるんだ。あなた方の最初のおとっつぁんが<気>だよ。あなた方の 人間世界の俗にいう父なるものが この<気>を 自分じゃつかまえたつもりはなくて つかまえたわけですよ。
 それをとにかく男が そういう気分 色気がでると同時に 睾丸の中に精子を 自分でこしらえると思わなくても 一人でできちゃったんだ。それを女が<気>でもって受けとったんだ。中には強姦されて子ができたものがあるけれども 子宮のほうじゃ その<気>を受けたんだ。
 極めて微妙な話だが 厳粛な話だから 聞くんだよ。たとえ 嫌だ嫌だといくら女が抵抗しても  よろしいか 男のものを受け入れたい以上というものは 嫌だとて行動でよしんば表現しても <気>はちっとも断っていないことになる。
 わかんない? <気>がなかったら カイコのチョウチョウでさえ一緒になりませんよ。だから 人間というものができたのは<気>のかたまりなんです。
 それを考えてみたら 明けても暮れても ああ この侵すべからざる真理を忘れずにいたら 心をどんな場合があっても弱くしちゃいけない 心をどんなことがあっても汚しちゃいけないということがわかってきたでしょう。 
 はじめからずっと 心になるもので人間はつくられている。どんな子になるんだって おやじの心がおふくろの心へ入って それで一緒になって子ができたんだ。侵すべからざる絶対の真理がここにありゃしないかい。
 わかったら どんなことがあったて 理屈つけて これを悲しまずにいられるかとか これを心配せずにいられるかという言葉は これは詭弁だということがわかるね。つまり 自分がそういう考え違いをしてる。理屈は 考え違いをつくろう形容詞だ。
 だから 天風哲学は はっきり言いたい。命は 体も心も一如だと言いたい。つまり 人間の生命は絶対二つなく 心だ 体だと分けるのが間違ってる。心の働きが一つだ。それを心というからいけないんだ。ある<気>の働きを完全にするために心の用い方を積極的にせい <気>の働きを完全に受け入れる器である肉体の生活もまた 真理から戻しちゃいかんと こう言ってるんだ。
 それで心身統一法の本当の根本原理がわかってきたろう。

―続くー



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