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怨霊におびえた平安貴族(2) 

2018年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



悪霊を神として祀る日本の風土は世界でも類を見ない

絶対神を作らない日本の伝統
 ☆西洋にも悪霊、ゴーストという概念がある
 ☆新約聖書の教えでは、死んだ人は復活を待つ状態で、現世に現れることはありえない
 (実在の人物が現れても、その人物の人格や思いを引き継いでいない)
 ☆殉教者への聖人崇拝はあっても、善良な信者が悪霊崇拝をすることはない
 ☆仏教の輪廻思想での死んだ人
 (地獄で責め苦にあっているか天上界で修行しているか、動物になっているか)
 (霊は「六道」のどこかに再生し次の人生を生きている)
 (現世に出てきて災いをなすヒマはない)
 ☆日本の悪霊や幽霊は、生前の個人の人格や怨みを保持したまま現れる
 (怨みを晴らすと、成仏してあの世に行くという考え方)
 ☆これは、たとえ仏教であっても日本以外ではありえない考えです
悪霊を善神と同列に神に祀る
 ☆日本以外では理解されない考え方
 ☆日本の社会は、悪人でも裁きを受ければ赦そうとする
 (「死者に鞭打たない」伝統がある)
 ☆日本人には、悪人、敵でも、その人が死んでしまえばそれ以上は責めない暗黙の了解がある
平将門も怨霊から神へ
 ☆桓武天皇を祖先にもち、平氏を名乗った将門は東国にて乱を起こす
 (自らを天皇として「新皇」を自称する)
 (朝廷の征討軍が派遣され戦いに敗れ、首は都で晒される)
 (晒された首が腐らなかった、笑った、首が東国に向けて飛んだとの噂が立つ)
 (災いが起こるとすぐに「将門の祟り」に結びついた)
 ☆将門の首は、武蔵の国に祀られ「津久戸明神」となる
 ☆将門の首が、京都から飛んで落ちた地に近い神田明神に将門は合祀された
崇徳上皇も怨霊から神へ
 ☆怨霊となって災いをもたらしたとされる
 ☆皇位をめぐって争われた保元の乱に破れ、讃岐に流罪になった崇徳上皇
 ☆上皇の死後、都では変死する貴族が続出、天災も起こる
 ☆明治天皇により白峯神宮に祀られる
 ☆上皇が亡くなった讃岐の地でもその霊は弔われ、金刀比羅宮にも合祀されている
後鳥羽上皇も怨霊から神へ
 ☆鎌倉幕府の成立で政権を奪われ、鎌倉政権に反抗した後鳥羽上皇も流罪となる
 ☆明治時代にいたるまで皇室の災いは上皇の祟りとされた
 ☆明治天皇により白峯神宮に祀られる
 ☆上皇が亡くなった讃岐の地でもその霊は弔われ、金刀比羅宮にも合祀されている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


悪霊を神として祀る日本の風土は世界でも類を見ない
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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