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平成の虚無僧一路の日記

オウム真理教 林郁夫君  

2018年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



70年安保闘争とともに、私の人生の中での大事件は「オウム真理教事件」だ。1995年3月20日。「朝8時、地下鉄日比谷線がストップしている」とのニュースを広報部のテレビで見ていた。会社は日比谷線の中目黒にあった。私は8時前には出勤していたので免れたが、丁度通勤時刻。日比谷線で通勤してくる千代田生命の社員の中にも、運悪く乗り合わせて、サリンの被害に遭った方がいた。彼は未だに後遺症に苦しんでいる。その後、オウム真理教の犯行が明るみになり、逮捕者が次々に出た。その中の一人、「林郁夫」のニュースで、「慶応中等部」の写真がテレビ画面に出て驚いた。「林郁夫」は私の1年先輩。美術部で一緒であり、写生旅行などを共にしたことがあったからだ。結婚した相手が、これまた1年下の○○さん。ニュースでもさんざん報道されたが、有名な男優の姪。父親は慶大医学部の名医で、石原裕次郎の主治医であったとか。「慶応のOB名簿」を見ると、夫婦共に、就職先が「オウム真理教」となっていた。「林郁夫」先輩は、優しい、生真面目な人だった。まじめ過ぎて「病を治すのが医者の役目なのに、現実には多くの人が亡くなっていく。現代医学では治せない病をなんとか、ヨガや超能力で治せないものか」と、彼なりに真剣に悩み、オウム真理教に救いを求めた。しかし、麻原教祖の言動に「何か変だ、おかしい」と思うことは何度かあったようだ。その違和感を覚えたときにすぐに脱会していれば良かったのだが、そのへんを問われて、「自分の選んだ道が間違っていたと認めることができなかった」と述べている。サリンの製造という最も大きな役割を担っていながら、ただ一人「無期懲役」で死刑を免れた。「彼の自白が、事件の解明を助けた」という理由らしいが、自白で刑が軽減されることは、今は改正されたが、当時はありえなかった。判決を下した山室恵裁判官は「法廷で号泣した姿を見て、悔心の情著しい」と判断したという。しかし、後日、法廷の職員から「騙されてませんか」と云われて、迷いも出たが、「自分の下した判決が、間違っていたとは思いたくない」と述懐している。(母方の姓が「山室」なので、同調したくなる)

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