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平成の虚無僧一路の日記

永田洋子と瀬戸内寂聴の往復書簡 

2018年07月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



永田洋子(ひろこ) は、瀬戸内寂聴に300通を超える書簡を送っていたと云う。本になって出版されている。『瀬戸内寂聴・永田洋子往復書簡―愛と命の淵に』 (福武文庫) 永田洋子は、逮捕されたのが 1972年。27歳だった。その12年後の1984年に脳腫瘍の手術を受けた。39歳で脳腫瘍。その後、脳萎縮で、激痛に苦しみ、目も煩った。彼女の手記によれば、「激しい頭痛がする。夜中に思わず痛さで飛び起き、獣のような うめき声をあげずにはいられないほどのものであり、そのうち身体じゅうに電流を流されているような感じになり、そのときは声をあげて泣きわめかずにはいられなくなる。やがて足がもつれ、歩いている途中でも倒れるようになる。便器に腰掛けたまま失神し、転げ落ち、嘔吐する。床に流れた糞尿のなかに顔をつっこんだまま気絶からさめない。日によっては洗面器二杯にも吐くことがある。手足がはげしく痙攣しはじめる」実に、死刑執行より苦しい生き地獄だったようだ。それは、情け容赦のないリンチを受け、糞尿垂れ流しの辱めを受けながら死んでいった者たちの祟(たた)りかと、世間の人は思うだろう。しかし、瀬戸寂聴は、「人は皆 死ねば 仏様になるのですから、死んだ者が祟ったり、悪さをすることはありません」という「法華経」の心で、永田洋子を励まし続けた。私も「幕妄想」「地獄・極楽も、前世も来世も、輪廻転生も、因果応報も、所詮は人が作った妄想」という禅宗の立場で、「 霊魂の祟り」とか「除霊」などは 本来の仏教にはないと否定してはいるが、そんな私でも永田洋子の病は「因果応報」と思ってしまう。宗教は人が作ったものだが、宗教心があるから、人の人たる所以であって、宗教心が無ければ、獣にも劣る「鬼畜」かとも思う。親鸞や日蓮だったら、永田洋子をもどう救うのだろうか。「『南無阿弥陀仏』あるいは『南無妙法蓮華経』と一心に唱えれば極楽往生できる」と説いて、それで 永田洋子は救われただろうか。永田洋子が救われれば、殺された14人の人たちの霊は浮かばれるのか。霊が存在しないならば、遺族の感情はどうなるのか。永田洋子の 死刑執行より辛い 生き地獄の末の死によって、宗教の根幹を考えさせられる。

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